東宝から日活へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 04:57 UTC 版)
同年P.C.L.は合併により東宝となり、滝沢は戦中戦後を通じて東宝スタジオの監督として活躍した。1954年(昭和29年)、日活に移籍、再開(制作部門を戦時統合で大映に吸収されていたため、撮影所を新築してのリスタートだった)第1弾『国定忠治』を監督した。1958年(昭和33年)に監督した泉鏡花の小説『高野聖』を原作とした『白夜の妖女』を第8回ベルリン国際映画祭にコンペティションに出品、金熊賞はイングマール・ベルイマン監督の『野いちご』が獲得したが、滝沢の存在が国際的に知られるところとなる。 還暦を迎えた1962年(昭和37年)、井上靖原作の『しろばんば』を芦川いづみ主演で撮り、当時の「滝沢英輔になお若い青春を感ずる」と評された。1965年(昭和40年)11月29日、高血圧性腎炎で死去。63歳没。
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