東学農民軍の再蜂起と鎮圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:03 UTC 版)
「日清戦争」の記事における「東学農民軍の再蜂起と鎮圧」の解説
朝鮮では、東学が戦争協力拒否を呼びかけたこともあり、軍用電線の切断、兵站部への襲撃と日本兵の捕縛、殺害など反日抵抗が続いた。10月9日、親日政権打倒を目指す「斥倭斥化」(日本も開化も斥ける)をスローガンに、全琫準率いる東学農民軍が再蜂起した。大院君は、鎮圧のために派兵しないよう大鳥公使に要請したものの、将来ロシアの軍事介入を警戒した日本は、11月初旬に警備用の後備歩兵独立第十九大隊を派兵した。鎮圧部隊は、日本軍2,700人と朝鮮政府軍2,800人、各地の両班士族や土豪などが参加する民堡(みんぽ)で編成された。11月下旬からの公州攻防戦で勝利し、東学農民軍を南方へ退け、さらに朝鮮半島の最西南端海南・珍島まで追いつめて殲滅(せんめつ)した。なお、5か月間の東学農民軍の戦闘回数46回、のべ134,750人が参加したと推測されている。
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