東奥・下北の2信金の参加(1県1信金構想)
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同日、この発表と共にあおもり信金救済と兼ねて青森県下の残る2信金である東奥信用金庫と下北信用金庫にも合併参加を打診したことが明らかになり、同年11月19日に青森市内にて合併の条件について非公開で協議し、後に東奥・下北の両信金とも理事会などで合併に合流することを決めた。11月26日には正式に八戸・あおもり両信金との合併に合流する意向を伝え、翌11月27日に4信金の理事長らが合併基本協定書に調印した。これにより、当時の新聞報道によれば全国で預金量が38位の中堅クラス の巨大信金(青森県内一円を対象とする意味) が誕生することとなった。こうした1県1信金体制は、2002年3月に当時の沖縄信用金庫(沖縄県那覇市)と合併したコザ信用金庫(沖縄県沖縄市)に次いで2例目であった。 合併後の新信金は八戸信金を存続金庫として本部・本店を現在の八戸信金に置くこととし、名称については3月中に県民からの一般公募を実施し、その後4月中を目処に合併準備委員会にて選考され、決定することとした。新信金は、預金残高が東北最大を維持するほか、貸付残高でも杜の都信用金庫を抜き、双方の残高とも杜の都信金を大きく引き離すこととなった。 合併の背景には、全国7カ所の信金共同事務センターを2011年までに2つへ統合する方針が打ち出されており、その前後2年間は合併が事実上困難となることもあった。
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