東京オリンピック後とは? わかりやすく解説

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東京オリンピック後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 03:37 UTC 版)

前田豊」の記事における「東京オリンピック後」の解説

この後は、日本スポーツ界全体リーダー一人として活躍1972年日本初め行われた冬季オリンピック札幌大会では、冬季オリンピック実績が無い日本チーム強化1966年から五ヵ年計画立て強化進めたオリンピックの日本選手団役員は、習慣日本スポーツ界中核成してきた陸上水泳中心占めてきたが、バレーボール界として初めメキシコミュンヘンオリンピック役員選手団総監督に就く異例出世遂げたメキシコでは主要競技不振はあったが、金メダル前回続く世界第3位確保し男女バレーボールも銀、ミュンヘンでは男子バレーボールチームを金メダル導き総監督としても面目保ったアジアバレーボール連盟女子世界選手権発展にも貢献バレーボール当時共産圏の国が強くボイコット問題など運営は困難を伴ったが、この時代前田理長・今副理事長コンビ獅子奮迅の活躍ぶりは、日本アジアひいては世界バレーボール発展大きく寄与した共産国国名呼称問題多くの国が開催返上し急遽日本初め開催されるになった1967年第5回女子世界選手権では、NHK意思の疎通欠いて絶縁されテレビ放映NET(現・テレビ朝日となった。「アマチュア団体が金でスポーツ売った」と激しく叩かれ、さらに相次ぐボイコットお客も集まらず大会失敗終わった。のちにNHKとは和解をした。この時の責任取って副会長日本バレーボール協会になったのを始め注目度増したバレーボールに於いてアマチュア問題などつどつど起こる世論からの批判役名変えた仕事はあまり変わらず日本バレーボール界の最高責任者地位長く保った激務からか根回し工作若干不備はあったものの他の人ではうまくいかない面があり、1970年の今急逝後は前田-松平ラインでその地位保った。 アジアバレーボールのリーダーとして中国ともスポーツ通じて早くから交流中国チーム作り積極的に協力した1970年には、日中国交回復前に政治先んじて全日本男女チーム中国遠征団長として率いスポーツ外交成功させ、日本バレーボール界の歴史1ページとした。中国ではいまなお基礎作り力を貸してくれた恩人」として大松とともにその功績高く評価している。 1970年から始まった全国高等学校バレーボール選抜優勝大会春高バレー)」は、それまで高校選手強化面で問題があったことを憂い前田松平康隆当時協会副理事長)が創設奔走し高校野球匹敵するアマチュアスポーツ事業実施したいというフジサンケイグループ前田との初会合を経て創設決まったもの。1972年ミュンヘンオリンピック直後起こった金メダリスト全日本男子の"アマチュア騒動"で引責辞任したが、その後協会財政ジリ貧バレー人気、さらにモントリオールオリンピック(1976年)、日本初開催することになったバレーボールワールドカップ(1977年)など、重要問題対処するため1975年専務理事復帰大古誠司全日本復帰問題など諸問題がまた持ち上がったが、ワールドカップでは協会側の担当責任者実行委員会委員長として運営奔走フジテレビ運営の巧さもあって大会大盛況終わりワールドカップ日本恒久開催繋げたワールドカップ成功は、日本バレーボール協会国際バレーボール連盟中枢占め切っ掛けとなった戦後日本のバレーボール隆盛前田努力に負うところが大である。 1976年から1983年まで国際バレーボール連盟副会長(のち終生名誉副会長)。1977年から1985年までアジアバレーボール連盟会長その後は、これらの要職腹心松平に序々にバトンタッチし、一線退いた情報誌『imidas2001』(集英社)の「20世紀を創った人々550」では、バレーボール分野大松博文猫田勝敏並んで3人のうちの1人数えられ、「日本のバレーボール普及発展長年にわたり貢献した功労者日本のバレーボール育ての親といって過言でない」と評されている。

※この「東京オリンピック後」の解説は、「前田豊」の解説の一部です。
「東京オリンピック後」を含む「前田豊」の記事については、「前田豊」の概要を参照ください。

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