札幌パープルシャドウズ
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球団名の由来はパープルシャドウズ。モデルは北海道日本ハムファイターズ。連載開始2年目シーズンで最下位。 則川 祐一(のりかわ ゆういち) 投手。背番号48→46。右投。年俸1100万円→4000万→8000万。文京モップス→札幌パープルシャドウズ モップスの中継ぎ投手。高校、大学時代共に全く目立たずスカウトからも「物になれば儲けもの」の低評価で入団後も二軍暮らしと敗戦処理が続き凡田の入団で危機感を感じていたが「東京ドーム編」一年目の凡田欠場中に大化けしその年の終盤からセットアッパーとして定着、胴上げ投手になる。現在では凡田と一家ぐるみで交流のある良き親友であり中継ぎのポジションを争う立場としては最大のライバルとなる。 家族はギャル系ファッションでガングロ の妻・かおる と一人息子の神王統(かおす)の三人暮らし。妻はモップスファンの間でも「モップスの選手以外とは結婚しない」と言う有名な追っかけであり当の則川本人も金目当ての結婚と見ているが高校で全くモテなかった過去から自分を好いてくれるなら(金目当てでも構わない)と意に介していない。 3年目シーズンで夏之助が復帰すると不安定なピッチングが続き辺見監督からの信頼を失い一軍での登板機会を奪われ二軍で一軍復帰を目指して再調整に挑んでいた矢先パープルシャドウズから凡田と河内の交換トレードを持ち掛けられ、契約上放出できない凡田の代わりとして移籍。 移籍以降もリリーフとしては失敗続きで首脳陣からの信頼を失いかけていたが、9月に入って先発投手が足りなくなると登板機会を失っていた則川にそのチャンスが回り、先発した4試合すべてで初回は3失点するものの以後は尻上がりに調子を上げてゼロに抑える という好投で4連勝と結果を残し、契約更改で現状維持を勝ち取るとともに来季からの先発転向を示唆された。移籍2年目は一軍で先発ローテーションに定着し、14勝2敗でハーラーダービートップの成績を残している。 移籍してからは札幌市内にある妻の実家で三世帯同居している。 西河内 浩(にしごうち ひろし) 声 - 加瀬康之 投手。背番号25。左投。38歳、年俸1億5000万円。北海道出身。 神戸オックス〜札幌パープルシャドウズ。大卒通算115勝のベテラン。 田辺監督のオックス監督時代の愛弟子。故障により成績低迷し、連載1年目のオフに戦力外通告を受ける。購入したマンションのローンと、実家の工場の再建に収入のほとんどを費やしており、次年度の税金を払えなくなるため現役にこだわってトライアウトを受験。田辺監督の温情もあり左の先発が足りないスパイダーズが獲得しようとするが、直前に新外国人の契約がまとまり流れてしまう。その後台湾の球団と契約する。 後藤田(ごとうだ) 投手。背番号11。左投。 「日本一のピッチャー」といわれるパープルシャドウズのエース。右腕を折りたたんだ瞬間に左腕を出す独特なフォームが特徴。作中2シーズン目の開幕投手を務めた。 河内 達也(こうち たつや) 打者。右打ち。凡田の同い年。 ドラフト8位。年俸1億5000万円。渋谷区出身。札幌パープルシャドウズ→文京モップス→札幌パープルシャドウズ 凡田と何かと因縁があり高校3年目だけ調子を落としたせいで評価が急降下し在京で『強い』チームであるスパイダースを熱望しスパイダースも下位で指名予定だったがドラフト会議で安田のゴリ押しにより7位で凡田を指名させ指名回避、パープルシャドウズが強行で指名し北海道行きを悩むも渋々入団、2軍時代ではファームシーズン150安打の記録が掛かっていたが凡田に阻まれたうえ凡田への初ヒットもピッチャー返しで額に直撃させる大怪我を負わせ入院見舞いの様子を「運命のいたずらが生んだ下位同士の友情物語」と当時のマスコミに書き囃された。 その後チームの主軸として活躍したが一軍首脳陣とトラブルを起こし二軍幽閉。年俸を支払いたくないフロントが期日直前に則川と交換トレードされた。しかし、FA権を得た年に、トラブルを起こし時の監督が解任され、懇意にしていたバッティングコーチが監督に就任したため、FAで再度パープルシャドウズに移籍した。
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