木食五行
木喰
(木食五行 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 08:53 UTC 版)
木喰(もくじき 1718年(享保3年)- 1810年7月6日(文化7年6月5日)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。
- ^ 「戒」とは仏教者として守るべき規律のことであり、「木食」とは五穀(米、麦、アワ、ヒエ、キビ)あるいは十穀(五穀+トウモロコシ、ソバ、大豆、小豆、黒豆)を絶ち(穀断ち)、山菜や生の木の実しか口にしないという戒律である。古来、木食上人と呼ばれた人物は他にも複数おり、豊臣秀吉に重用され、高野山の復興に尽力した木食応其(もくじきおうご)上人は中でもよく知られているが、木喰仏の作者である木喰上人の場合は、「口へん」の「喰」の字を使用する点で他の「木食上人」と区別しやすい。
- ^ 西海賢二「木食僧の系譜-観海・行道・観正-」『仏教民俗体系二 聖と民衆』名著出版、1986年
- ^ 白道は山梨郡上萩原村(甲州市塩山)に生まれた木喰僧で、安永2年(1773年)に伊豆国で木喰と出会い、木食戒を受けている。その後も木喰に同行して廻国し造仏を行っている。
- ^ a b c d e 近藤(2015)、p.122
- ^ 小島(2015)、pp.18 - 19
- ^ a b 小島(2015)、p.19
- ^ 小島(2015)、p.19、近藤(2015)、p.123
- ^ 近藤暁子『木食白道-知られざるもう一人の木喰-』
- ^ a b c d 近藤(2008)、p.188
- ^ 丸山太一「木喰上人その生涯と作品」『信濃・越後・佐渡 木喰仏の魅力』(1998年)、五来重『微笑仏ー木喰の境涯(1968年)』
- ^ 『四国堂心願鏡』
- ^ a b 近藤(2008)、p.190
- ^ 近藤(2008)、p.192
- ^ 柳「故郷丸畑における上人の彫刻」『木喰五行上人の研究』1925年
- ^ 近藤(2008)、pp.192 - 193
- ^ 小島(2007)、p.178
- ^ a b c d 『円空・木喰展』、p.251
- ^ 小島「作品解説」『生誕290年 木喰展』
- ^ a b 『円空・木喰展』、p.257
- ^ a b c d e f g 『円空・木喰展』、p.233
- ^ 『円空・木喰展』、p.246
- ^ a b c d 『円空・木喰展』、p.237
- ^ 『円空・木喰展』、p.247
- ^ a b 『浅川伯教・巧兄弟の心と眼-朝鮮時代の美』、p.108
- ^ 『甲斐の国のたからもの』、p.39
- ^ 『円空・木喰展』、p.233、『甲斐の国のたからもの』、p.37
- ^ 『円空・木喰展』、p.234
- ^ a b c d e 『円空・木喰展』、p.27
- ^ a b 五来『微笑佛 木喰の境涯』
- ^ 近藤(2009)、pp.79(42) - 80(41)
- ^ 小島(2008)、p.176
- ^ 小島(2008)、p.178
- ^ a b 小島(2008)、p.174
- ^ 小島(2008)、pp.174 - 175)
- ^ a b 小島(2008)、p.175
- ^ 小島(2008)、p.180
- ^ 小島(2008)、p.180。なお、弟子の白道の六字名号は「笹字」と呼ばれる書体で記されている。
- ^ a b c 萩原(2008)、p.182
- ^ 高崎宗司『増補新版 朝鮮の土となった日本人』
- ^ a b 森谷(2008)、p.194
- ^ 森谷(2008)、pp.194 - 195
- ^ a b 森谷(2008)、p.195
[続きの解説]
「木喰」の続きの解説一覧
- 木食五行のページへのリンク