日本社会党政権による社会主義政策
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「昭和」の記事における「日本社会党政権による社会主義政策」の解説
1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党が第1党となり片山哲が総理大臣となった。右翼過ぎず、左翼過ぎない内閣の性格から「中道政権」と呼ばれた。GHQのチャールズ・L・ケーディスも民主化推進の立場からこの中道路線を支持していた。昭和天皇は社会主義による急進的な変革は望まなかったが、キリスト教徒である片山の人柄に好感があり、労働問題で日本社会党が支持を得た民意に一定の理解を持っていたとする宮内庁の文書の記述がある。民主党・日本社会党・国民協同党の連立政権である片山内閣と芦田内閣が以下の経済政策 を実施した。 労働組合法を成立させて、教育委員会の公選投票制度や日本教職員組合など複数の労働組合を結成させた。定時制高校や社会科学系公立短大夜間部の設置など社会人教育の充実。 天皇の官吏から国民への奉仕者としての国家公務員法を制定させた。 内務省を解体させて、都道府県知事・市町村長の公選制度(直接選挙)やリコール[要曖昧さ回避]制度を規定した。 自治体警察を創設するなど警察制度の改革を実施。 労働問題を扱う省庁として新たに労働省を設置。 職業安定法を公布させた。 社会保険制度として、失業保険法と失業手当法を成立させて失業保険を創設した。 国民健康保険法を改正した。 児童福祉法を公布させた。 戸主制度・家督相続など封建的な家族制度の廃止や婚姻の自由、男女平等の相続の創設を目標とした改正民法の制定。 夫婦平等の概念と夫婦共同財産制度の創設、妻の能力権と配偶者として相続する権利、子供全員が均等に相続する制度が新設されて、富裕層の相続税が増税されるなどの相続法改正。 既婚女性に対する姦通罪の廃止・皇室に対する大逆罪及び不敬罪の廃止など刑法の大幅改正。 令状主義、黙秘権を認めるなど刑事訴訟法の改正。 裁判所法を制定して、日本国憲法で定められた最高裁判所や下級裁判所についての組織や権限を明記した。 炭鉱の国有化を目的とする臨時石炭鉱業管理法(通称「炭坑国家管理法」)を制定させた。 優生保護法を成立させて人工妊娠中絶を合法化。 他に生活保護法を成立させて、1950年(昭和25年)に生活保護制度の運用を開始するなどの政策が行われた。 昭和20年代に全国水平社が改組して部落解放同盟となった。日本社会党と協力して部落解放運動を行い、格差改善と集落の改良事業を行った。東宝争議では、社長が2つの赤(赤字と赤旗)の追放を目標とした人員整理を実施したところ、三船敏郎、池部良、久我美子らの映画スターを含む社員が街頭に出て、反対運動を行った。しかし戦後混乱期の頃は、下山事件、三鷹事件、松川事件などの怪事件が次々と起こり、それらが労働運動によって起こされたと宣伝された。独立回復後の1952年(昭和27年)5月1日には血のメーデー事件があった。同時にレッドパージが行われ、小中高および大学の共産主義教員が追放されるに至った。それは、アメリカで吹き荒んだマッカーシー旋風(赤狩り)に似ていた。芦田均が関与して逮捕された昭電疑獄で中道政権は崩壊する。
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