日本社会党委員長としての飛鳥田一雄
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「飛鳥田一雄」の記事における「日本社会党委員長としての飛鳥田一雄」の解説
横浜市長から社会党委員長に転身した飛鳥田であるが、日本社会党では委員長という地位自体にほとんど権限がなかったことから十分に力を発揮することができなかった。 なお、飛鳥田は朝鮮民主主義人民共和国を訪問した際、以下のような北朝鮮を賛美する言葉を残したとして批判されることがある。 「チュチェ思想は今や、チョソン人民にとって革命と建設の羅針盤となっているばかりでなく、プロレタリア国際主義とも完全に合致しているところから、日本や世界各地でひろく研究され、各国人民のたたかいを励ます思想ともなっている。」 「帰国後私は家内に『あなたはキム・イルソン主席にほれてしまいましたね』とよくいわれたものだが、まさにその通りである。私は、チョソン民族の偉大な指導者としてばかりではなく、アジアと世界のすぐれた指導者の一人であるキム・イルソン主席にいまだにほれつづけているわけである。」 一方、日本社会党本部中央執行委員であった船橋成幸の見方は正反対で、飛鳥田は金日成に対する個人崇拝をひどく嫌っていたという。金日成ゆかりの史跡を訪ねたとき、史跡の職員に金日成を賛美するよう暗に求められたが、案内役の女性に「あなた、こんどお訪ねするまでに素敵な人を見つけて、お幸せにね」とだけ言って、迎えの自動車に乗り込んだ。また、金日成と対等な立場で会談し、へりくだった態度を見せなかったため金日成のほうが飛鳥田に好印象を持ったといわれているとのことである。それを根拠に、飛鳥田の北朝鮮を賛美する言葉は、社会党の政治家が訪朝すれば北朝鮮側から金日成や金正日を評価する発言を言うよう強く求められることが多いためで、本心からではなかった、とする意見もある。 1987年に出版された回顧録の中で、北朝鮮の工作船・不審船が石川県能登半島沿岸の日本海に出没していることについて言及しており、自身が委員長時代(1978年2月頃)に第1回総対話集会を小木(石川県)で開催し、現地の漁民から情報収集を行っていたことを明かしている。
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