日本社会党国際局長としてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日本社会党国際局長としての意味・解説 

日本社会党国際局長として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 08:36 UTC 版)

河上民雄」の記事における「日本社会党国際局長として」の解説

1977年12月17日から19日まで社会主義インターナショナル首脳会議東京開催されることになった。しかし、その責任者であった日本社会党国際局長の田英夫同年9月27日離党したため、河上国際局長の職務引き継いだ同年12月13日第41回続開大会で正式に国際局長に選任され社会主義インターナショナル東京首脳会議成功させた。以後1982年まで国際局長を務めた当時日本社会党社会主義インターナショナル疎遠になっており、社会主義インターナショナル会議日本社会党国際局書記クラス派遣していたが、河上出来るだけ自ら参加するようにして、社会主義インターナショナルにおける日本社会党発言権高めよう尽力した1980年社会主義インターナショナル第15回大会では、でっちあげ裁判死刑宣告されていた金大中の名を議長総括演説盛り込むよう主張しヴィリー・ブラント議長総括演説で「金大中殺してならない」と叫ばせることに成功したこうした国際圧力金大中死刑回避され、後に金大中釈放された。

※この「日本社会党国際局長として」の解説は、「河上民雄」の解説の一部です。
「日本社会党国際局長として」を含む「河上民雄」の記事については、「河上民雄」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本社会党国際局長として」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本社会党国際局長として」の関連用語

1
12% |||||

日本社会党国際局長としてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本社会党国際局長としてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの河上民雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS