日本・朝鮮地図、ラスク書簡、日韓基本条約、その他とは? わかりやすく解説

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日本・朝鮮地図、ラスク書簡、日韓基本条約、その他

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 14:21 UTC 版)

保坂祐二」の記事における「日本・朝鮮地図、ラスク書簡、日韓基本条約、その他」の解説

2005年4月、『日本古地図にも独島はない』(子音母音)を韓国出版し竹島記載されていない日本古地図竹島日本版図外とした太政官指令文などを公開した竹島研究には、民族主義的感情排除した客観的な資料発掘が重要であるとしている。 2006年10月日本人制作による古地図写本2点公開した1点1882年制作の『朝鮮國全圖』(註:この地図描かれ竹島松島は、川上健三がその著書(1966)で鬱陵島現在の竹島独島)であることを認めている。)、もう1点1883年制作の『大日本全圖』。松島が『朝鮮國全圖』に記され、『大日本全圖』には記されていないことから、日本はこの時、松島朝鮮国一部である事を認めていたとし、同月鬱陵島独島博物館訪問し、この2つ地図写本寄贈している。 2008年2月22日日本人制作の『新撰朝鮮国全図』(1894)(註:この地図前述の『朝鮮國全圖』に彩色しただけの地図である。)と、『朝鮮変乱詳細地図』(1894)を公開した2点とも、現在の鬱陵島竹島韓国本土と同じ色で塗られ日本列島とは領土的に区別されていることを指摘した。 彼は2008年7月竹島に関するアメリカ地名委員会による表記関わる騒動について、「日本静かに、しかし執拗に米国政府)側の核心人物対すロビー活動続けてきたが、韓国はそうでなかった」、韓国はただ「<独島は韓国が実効支配している地域であり、それをよく分かってほしい>という水準とどまっていた」と述べている。また、日本は‘竹島日本固有の領土’と主張しているが、‘中立的領土’と表記され当惑し」、「それで(日本の)主要日刊紙報道2-3日ほど先に延ばした」と主張している。 保坂は、韓国漫画家協会要請により、韓国代表的な漫画家であるイヒョンセと共に、<独島への愛>というマンガ原作者として5日わたって連載した掲載2008年10月20日から24日まで行なわれ朝鮮日報文化面トップ記事として載せられた。 2009年2月23日保坂は、于山島に峰が描かれ朝鮮時代古地図2点公開。彼はこのような地図によって于山島鬱陵島の東2kmに位置する峰のないチュクトではなく確実に独島であり、韓国朝鮮時代にも独島対す領有意識明確に持っていたことが証明されるとした。 2012年5月保坂は、外務省主張する内容ー即ち1951年8月米国ラスク書簡在米韓国大使館送付し、「独島1905年以降日本の島根県隠岐島所管であり、それ以前韓国独島領有したことも、独島に対して領有権主張した事実もない」ことを理由挙げて独島事実上日本の領土であると認めたという内容に関してラスク書簡は、他の連合国との間で合意された内容ではなく米国独断により韓国政府送られ秘密文書であるため、米国見解とは看做されたとしても決しサンフランシスコ条約結論には成り得ない文書」であるとし、ラスク書簡独島日本領土とした文書という日本側の見解は全くの事実誤認歪曲であることを、米国の他の秘密文書引用して証明した主張した2012年8月保坂は、1965年日韓基本条約同日締結した日本国大韓民国との間の紛争の解決に関する交換公文』に、「両国政府別に規定がある場合除き両国間の紛争であり外交上の経路通じて解決できない問題両国政府合意する第三国による調整によりその解決を図る」と規定されていると主張し日本1965年以後国際司法裁判所(ICJ)に提訴することは「理にかなっていない」という見解明らかにした。この交換公文について「独島紛争地域という日本主張交換公文から削除され韓国独島紛争地域認めなかった。したがって交換公文紛争解決方式独島には適用されない」、また「ICJ による解決方式交換公文から除外されたので韓日紛争ICJ回付されない」として、この交換公文日韓基本条約によって日本政府竹島日本の領土とする根拠国際法的に消失し、そのため1965年以降日本政府ICJ への提訴韓国に対して公式に提案できなかったのである主張している。2012年8月21日韓国李明博大統領竹島上陸したことから、日本はこれに反発して韓国対し ICJ合意付託すること及び日韓紛争解決交換公文に基づく調停を行う提案をしたが、同月30日韓国政府より応じない旨を口上書日本政府回答した鬱陵島独島に関する日本での名称混乱本質は、日本鬱陵島独島歴史忘却し独島領有していなかった証拠主張している。1883年から日本海軍省水路部発行始めた日本政府の公式文書である『水路誌』では、独島朝鮮東岸所属する「リヤンコールト列岩」と紹介しその歴史に関して幕末以前歴史記せず、「此列岩ハ1849年仏国船『リヤンコールト』号初テ之ヲ発見シ」と記して独島初め1849年フランス船によって発見されたと明記している これらの事実は、19世紀中ごろには日本幕末以前独島歴史に関して忘却したことを示しており、それは当時日本独島領有していなかった証拠であると主張している。

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