日本最大の企業と戦後の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:26 UTC 版)
「カネボウ (1887-2008)」の記事における「日本最大の企業と戦後の復興」の解説
明治20年(1887年)に東京府南葛飾郡隅田村の通称・鐘ヶ淵に東京綿商社として創立され、初代頭取には三越得右衛門が就任した。紡績会社として創業した企業であった。紡績工場は1889年に完成した。戦前、繊維産業はかつての鉄鋼・現在の自動車に匹敵する基幹産業であり、武藤山治が支配人・社長をつとめた明治から昭和初期にかけて、国内企業売上高1位を誇り隆盛を極めた。また、鐘淵デイゼル工業(現・UDトラックス)や茨木自動車(現在の近鉄バスの一部)などの異業種も傘下におさめていた。なお「鐘ヶ淵」の通称は、東武伊勢崎線・鐘ヶ淵駅の駅名としてその名を残している。 しかし、第二次世界大戦下の1945年の空襲等で、兵庫工場など国内外の工場を失い、カネボウ(以下「カネボウ」と記す)はゼロから再出発することになった。また旧経営陣が公職追放されたことを受け、1947年に武藤山治の息子・武藤絲治が社長に就任し、1949年、非繊維事業を鐘淵化学工業(通称・鐘化、現・カネカ)として分離独立させた。その後1961年には、化粧品事業を鐘化から買い戻し(現・カネボウ化粧品)、1964年には、ガムメーカーのハリス(現・クラシエフーズ)を買収して食品事業に進出、1966年には、山城製薬を買収して薬品事業(現・クラシエ薬品)に参入するなど、非繊維事業に進出していった(グレーター・カネボウ計画)。この間、創業地の紡績工場は1963年に化粧品工場に転換し、1969年には閉鎖された。また経営面では、1958年の経営危機を機に、労使運命共同体路線が確立した。1968年、武藤絲治は会長に退き、45歳の伊藤淳二が社長に就任する。
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