むとう‐さんじ〔‐サンヂ〕【武藤山治】
武藤山治 むとう さんじ
愛知生まれ。実業家、政治家。明治17年(1884)慶応義塾卒業。翌年アメリカに留学し20年(1887)帰国、銀座に日本初の新聞広告取次業を創始。新聞記者等を経て、26年(1893)中上川彦次郎による三井の改革時に招かれて三井銀行に入行。翌年鐘淵紡績会社に移り、大正10年(1921)社長就任。13年(1924)から代議士としても活動した。昭和5年(1930)鐘紡社長を辞任。7年(1932)政界引退後時事新報社長となり、帝人事件で政財界の腐敗を糾弾中、狙撃され死去した。
キーワード | 実業家, 政治家 |
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武藤山治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 05:13 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動武藤 山治(むとう さんじ)
- 武藤山治 (実業家) - 日本の実業家。戦前の衆議院議員。
- 武藤山治 (日本社会党) - 日本社会党の衆議院議員。
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