武藤山治 (日本社会党)とは? わかりやすく解説

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武藤山治 (日本社会党)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 01:18 UTC 版)

武藤 山治(むとう さんじ、1925年7月8日 - 2001年5月29日)は、日本政治家位階正三位日本社会党衆議院議員

武藤 山治
むとう さんじ
生年月日 1925年7月8日
出生地 栃木県足利市
没年月日 (2001-05-29) 2001年5月29日(75歳没)
出身校 早稲田大学政治経済学部卒業
所属政党 日本社会党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章

選挙区 旧栃木2区
当選回数 10回
在任期間 1960年11月20日 - 1969年12月2日
1972年12月10日 - 1993年6月18日

当選回数 2回
在任期間 1955年 - 1960年
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来歴・人物

栃木県足利市出身。青年時代は勤労学生で、衆議院議員・金子益太郎の秘書をしながら早稲田大学政経学部卒業する。その後、同大の大学院に進むが、1952年に大学院を中退して群馬県立館林女子高等学校の教員に就職。1955年、栃木県県議会議員に当選して2期務めたあと1960年第29回衆議院議員総選挙で初当選を果たし、通算10期務めた。この間1977年党政審会長1986年に党副委員長、1988年に党代議士会会長を歴任した。一方で党内右派の政権構想研究会代表を務め、1981年に行われた日本社会党委員長選挙では飛鳥田一雄委員長の対抗馬として立候補し、落選。

1990年再選し、1991年 - 1992年衆議院商工委員長。1991年社会党シャドーキャビネット通産相に就任。1993年の選挙に落選し、政界から引退。

社会党委員長村山富市内閣総理大臣を務めていた1995年勲一等旭日大綬章を受章[1]

2001年5月29日死去。75歳没。死没日をもって正三位に叙される。

脚注

  1. ^ 「95年秋の叙勲 勲一等・勲二等」『読売新聞』1995年11月3日朝刊
議会
先代
奥田幹生
衆議院商工委員長
1991年 - 1992年
次代
山口鶴男
先代
枝村要作
衆議院石炭対策特別委員長
1983年 - 1984年
次代
上坂昇
党職
先代
堀昌雄
日本社会党政策審議会長
第10代 : 1977年 - 1981年
次代
嶋崎譲



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