神田大作
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神田 大作
かんだ だいさく
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生年月日 | 1913年2月12日 |
出生地 | ![]() |
没年月日 | 1983年5月28日(70歳没) |
出身校 | 栃木県立真岡中学校卒業 |
所属政党 | (右派社会党→) (日本社会党→) 民社党 |
称号 | 従四位 勲二等瑞宝章 |
親族 | 神田厚(息子) |
選挙区 | 旧栃木2区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1955年2月27日 - 1960年10月24日 1967年1月29日 - 1969年12月2日 1972年12月10日 - 1976年12月9日 |
神田 大作(かんだ だいさく、1913年2月12日 - 1983年5月28日[1])は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(4期)。
経歴
栃木県芳賀郡益子町に生まれる[2]。栃木県立真岡中学校を卒業[2]。農民運動に携わり[1]、1947年(昭和22年)から栃木県議会議員を2期務める[2]。1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙で旧栃木県第2区から立候補し当選[2]。日本社会党栃木県連会長を務めた後[1]、1960年(昭和35年)、同党を離党し民主社会党に参加[2]。民社党では県連書記長を務めた[2]。衆議院議員は通算4期当選、1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に立候補せず引退。1983年(昭和58年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[1][3]。同年5月28日死去、70歳。死没日をもって従四位に叙される[4]。
全国農民同盟書記長も務めた[1]。息子の神田厚も衆議院議員。
脚注
参考文献
- 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社 、1995年。
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