日本のワクチン事情
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「#ワクチン忌避・反ワクチン」、「集団免疫」、および「薬害」も参照 日本では1849年にオットー・ゴットリープ・モーニッケが天然痘の痘苗を輸入し、以後本格的に種痘が全国に広まった。1909年には種痘法が施行され、1948年には予防接種法が制定されて、天然痘以外の感染症でも予防接種が義務化された。 1964年(昭和39年)に始まった、インフルエンザワクチンの被害を訴える訴訟は、1980年代まで長く続き報道された。続く予防接種による訴訟によって、1976年(昭和51年)に予防接種法が改正され、救済制度が設立された。裁判は長期化し、その結果は国の敗訴・和解となり、「予防接種は効果の少ない一方で、副反応が多発するこわいもの」という誤った認識が国民だけでなく医療関係者にも定着。1994年には強制予防接種が緩和され、定期ワクチン接種は義務から勧奨にとどめられることになった。ただし定期接種は国策として行われるものであるため費用助成が行われており、ほとんどの場合無料である。 日本では、GHQの指示で日本政府が行ったジフテリアワクチンによる薬害で84人の死者と多数の後遺症患者を出し、政府のその後の対応もまずかったため不信感を残した。1980年代まで世界に先駆けてワクチン開発を行っていたが、副作用による訴訟が相次ぎ、厚生省とメーカーが開発・接種に消極的になり、新たなワクチンの大規模な開発はほぼ行われなくなった。1990年代以降、海外で続々と開発されたワクチンが日本ではほとんど認可されず、「ワクチン・ギャップ」と称されるほど他国に比べワクチン開発が遅れた状況となった。この状況は2007年以降ワクチンの認可が急速に進められたことでやや解消されつつある。 2000年代に入っても、日本脳炎ワクチン接種後の急性散在性脳脊髄炎(ADEM)発症、Hibワクチンと小児用肺炎球菌ワクチン同時接種後の死亡、子宮頸がんを予防するHPVワクチンの接種勧奨差し控え等の事例があり、マスコミがワクチンの負の面を強調する報道をしたこともあり、国民の不安は増大した。 日本で予防接種が徹底されないために、2007年にはカナダに修学旅行に行った生徒が、現地では根絶されている麻疹に感染したため、ホテルから外出禁止となり、修学旅行が打ち切りになり帰国することが報道された。ただしこれにより麻疹ワクチンの接種は徹底されるようになり、2015年にはWHOが日本を麻疹排除国に認定した。小児用のHibワクチンは、先進国に大幅に遅れて認可されたが、当時アジアで認可されていないのは、北朝鮮と日本だけであった。 日本の主な製造メーカーを挙げる。 第一三共バイオテック(旧北里研究所) KMバイオロジクス(旧:化学及血清療法研究所) 阪大微生物病研究会(微研) デンカ(旧デンカ生研) 武田薬品工業 サノフィ・アベンティス 日本国内のインフルエンザワクチンの製造元は2021年7月現在、第一三共・KMバイオロジクス・阪大微生物病研究会・デンカである。。 2010年6月、新型インフルエンザ(A/H1N1)のパンデミックを受け、専門家による対策総括会議で、ワクチン製造業者の支援や生産体制の強化が提言された。国家の安全保障という観点からも、国内のワクチン生産体制の強化が求められた。しかし、実際には事業仕分けなどにより政府の資金的支援がうまく行われなかった。 日本で流布するワクチン有害説について、「語句説明」「理論の論理性」「理論の体系性」「理論の普遍性」「データの再現性」「データの客観性」「データ収集の理論的妥当性」「理論によるデータ予測性」「社会での公共性」「議論の歴史性」「社会への応用性」の10項目からなる「科学性評定の10条件」に基づくと、理論の適応範囲に大きな問題を抱えており、データの面からもこれを支持できる有力な根拠はなく、典型的な疑似科学的言説であると結論づけられている。
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