日本におけるメディアアート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 01:16 UTC 版)
「メディアアート」の記事における「日本におけるメディアアート」の解説
日本におけるメディアアートの発展は特徴的で、海外におけるビデオアート、現代美術の発展と同様の美術・芸術を背景とするアートとは別に、1990年代前半から特に商業芸術、デザイナー、プランナーなどがコンピュータゲームや電子玩具といった姿での実現を行うとともに、1990年代中盤からはインターネットの爆発的な普及とともに、技術者や研究者、特にリアルタイムコンピュータグラフィックス、ネットワーク、社会学などを専門にする人々も、アーティストらとともに「新しいメディア」をフィールドとしたアートワークを具現化してきた。特に日本では電子技術、映像技術やロボティックス、ヒューマンインタフェイス(ヒューマンマシンインターフェース)、バーチャルリアリティ技術の研究者たちがその応用の可能性としてメディアアーティストと共同制作を行ったり、メディアアーティスト自身が技術を習得・駆使して自らのアイディアを具現化するなど特に盛んになった。また日本国内にはメディアアートに関連したコンペティションや学会が多い。世界的なコンペティションとしては文化庁メディア芸術祭や国際学生対抗バーチャルリアリティコンテスト(英語版)、国内のテレビ番組ではデジタルスタジアム、その他国内の美術館や自治体、学会をスポンサーにした公募展が数多く開催されている。展示施設も、NTTインターコミュニケーションセンター、山口情報芸術センター、東京都写真美術館、日本科学未来館などメディアアートやメディアアート的要素を多く取り入れた活動を行っている美術館・博物館も少なくない。 2009年には、一連のメディアアート、商業芸術(英語版)作品を中心とした、展示、資料収集、保管、調査研究などの日本の拠点機能として国立メディア芸術総合センター(仮称)の施設整備が予定されている。しかしこの施設はマスコミや野党から「国営の漫画喫茶」「税金の無駄遣い」などの批判が相次ぎ、実際に施行されない可能性も残されている。 日本におけるメディアアートの特徴として、他の絵画や写真といったファインアートと比較して、商業化・産業化の可能性が非常に高いことが挙げられる。例えば八谷和彦は1990年代はコミュニケーションをテーマに作品を作り続けてきたメディアアート作家であるが、新しいメールコミュニケーションソフトポストペットを大きな産業にし、社会的影響を与えている。岩井俊雄は「インタラクティブな映像楽器」をテーマに作品を作り続けているが、近年の子供番組におけるバーチャルキャラクタとの画像合成手法の基礎を築いたTV番組『ウゴウゴルーガ』の基本システムを開発した人物としても有名である。また岩井俊雄はコンシューマコンピュータゲームプラットフォーム向けにも「オトッキー」、「びっくりマウス」、「エレクトロプランクトン」など、インタラクティブな映像楽器の要素を強く打ち出したゲームタイトルを制作している。 明和電機は日本の戦後に数多く見られた電気機器製作の中小企業を模したアーティストユニットである。作風としてはあくまでアコースティックにこだわっているため、作品にコンピュータなど先端技術は露出しないが、数多くの楽器や製品を世に発表している世界に代表する日本のテクノロジーアーティストである。 岩田洋夫はロボティクス、ハプティックス、バーチャルリアリティなど機械工学を専門とする先端技術研究者であるが、メディアアートの世界的頂点であるアルス・エレクトロニカ(オーストリア・リンツ)やSIGGRAPH(米国)にて数多くの受賞、発表を行なっている。 坂根厳夫は1980年代から国内外のメディアアートの研究をし、数多くの展覧会を通してその紹介を行ってきた。近年はメディアアートを専門にする高等専門教育機関・大学院大学IAMAS(岐阜県大垣市)の学長をつとめ数多くの若手アーティストを教育するとともに、アーティスト・イン・レジデンス制度を運営し数多くの国際的なメディアアーティストを日本に招聘してきた。 ライゾマティクス(英語版)は2010年に音楽ユニットのPerfumeとの共同プロジェクトPerfume LIVE @東京ドーム「1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11」を成功させ、メディアアートで確立された手法の1つであるプロジェクションマッピングを一般層に認知させた。
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