日本におけるメディア・リテラシー以前の状況
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「メディア・リテラシー」の記事における「日本におけるメディア・リテラシー以前の状況」の解説
江戸時代、日本では情報規制が厳しく行われていた。特に幕末では、倒幕派や攘夷派の起こした事件は、瓦版などで大きく報道できなかった。そのため、瓦版の版元は隠語などを用いて発行し、知識のある者がそれを読み取っていた。 昭和初期には、大陸での陸軍の暴走(満州事変など一連の大陸での事件)がメディアによって支持され、世論により政府の不拡大政策は崩れた。さらに、第二次世界大戦勃発後、ドイツの快進撃が報道されるに及び、ドイツとの同盟論が復活(ドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだことにより、同盟論は沈静化していた)し、その上英米に歩み寄る政府の姿勢をメディアが批判的に報道し、世論は対英米協調に反対を示し、それに乗じた陸軍の工作により、協調路線をとる米内光政内閣は崩壊した。一つの見方では、メディア・リテラシーの欠如が日中戦争の拡大を促し、太平洋戦争を勃発させたとも言える。 太平洋戦争下では、新聞は法律によって統制され、放送局は事実上の国営局一つだけなど、露骨な情報操作が行われていた。報道や軍事などに詳しいものであれば疑うこともある内容ではあったが、軍部による言論の弾圧もあったため、疑念を表に出すことがあれば非国民とされ、生きていくこともままならなかった状況でもあった。もしメディア・リテラシー教育が行き届いていたとしても、開戦自体を止められなければ無力であるとも言え、常日頃のメディア・リテラシーが重要であることを示唆している。 太平洋戦争後(1957年)、テレビによるマスコミの悪影響が一億総白痴化などと言われたことがあった。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう。」といったもので、現代におけるインターネット批判と同様の事が50年も前から起こっていた。しかし、メディア・リテラシー教育は無かったため、そういったメディアを読み、聞き、見ていく訓練は自主的に行わなければならなかった。
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