日本におけるムー大陸伝説とは? わかりやすく解説

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日本におけるムー大陸伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:52 UTC 版)

ムー大陸」の記事における「日本におけるムー大陸伝説」の解説

日本でのムー大陸紹介記事1932年昭和7年8月7日の『サンデー毎日』の記事「失はれたMUミュウ太平洋秘密の扉を開く」(三好武二)をはじめ、1938年昭和13年7月の『神日本』2巻7号(神之日本社)の「陥没大陸ムー国」など多数紹介されていた。現在ではその名が冠され雑誌ムー』の誌名でも知られる出口王仁三郎は、チャーチワードが『失われたムー大陸』(1926年1931年)を発表する4年前の1922年大正11年)に、『霊界物語第9巻総説歌で「太平洋真中に 縦が二千七百浬 横が三千一百黄泉(よもつ)の島や」と書いて、太平洋巨大な大陸があったと述べている(2,700海里=約5,000キロメートル、3,100海里=約5,700キロメートル)。チャーチワード1931年著作の中で、日本人ムー大陸住民支配層だった白人の子孫であり、その血をかなり純粋に維持していると述べ日本ムー大陸接点があるとに記している。1932年昭和7年)に大阪毎日新聞チャーチワードムー大陸説が報道されると、ムー大陸とは霊界物語黄泉島(よもつじま)のことである、と述べている。ムー大陸沈没したことも、霊界物語第12巻27章で書いている。 古史古伝竹内文書紹介した1940年昭和15年10月刊行の『天国棟梁天皇御系図宝ノ巻き前巻・後巻』(児玉天民 太古研究会本部)で葺不合朝(ウガヤフキアエズ王朝69神足別豊鋤天皇の代に、「ミヨイ」と「タミアラ」という大陸(というよりも島)が陥没したとし、その世界地図記載されている(1934年昭和9年5月の『大日本神皇記』(皇国日報社)では4代天之御中主神身光天皇35代の千足不合10代天日身光萬國棟梁天皇の時とする。ただし「ミヨイ」や「タミアラ」の名称はない)。竹内文書では、これらの島では五色人(白人黒人・赤人・青人・黄人)と王族黄金人が暮らしていたが、天変地異で島が沈んだために天の岩船日本など太平洋沿岸域避難したとする。「ノアの洪水」に代表される世界大洪水は、このときの「ミヨイ」と「タミアラ」の水没影響としている。なお、この竹内文書自体明治から大正にかけて竹内巨麿によって創作され偽書認識されている。 チャーチワードの論は、戦時下において、日本起源世界的な出来事位置づけたいと考え一部急進的な愛国者の間で支持された。仲小路彰藤沢親雄仲木貞一などによって、天皇家ムーの子孫であり、日本人こそムー正統であるという主張がなされ、日本の天皇こそが世界における正統支配者であるということまた、当時日本委任統治していたミクロネシアなどの南洋支配正統性裏付ける根拠一つとされたが、国が教育する天皇像や皇国史観から大きく逸脱しているため、同じ右翼論壇からも批判され次第消滅していった。

※この「日本におけるムー大陸伝説」の解説は、「ムー大陸」の解説の一部です。
「日本におけるムー大陸伝説」を含む「ムー大陸」の記事については、「ムー大陸」の概要を参照ください。

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