日本におけるモスリンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日本におけるモスリンの意味・解説 

日本におけるモスリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:07 UTC 版)

モスリン」の記事における「日本におけるモスリン」の解説

日本には近世以降ポルトガルオランダ等の貿易船経由さまざまな布地服飾流入していたが、その中で毛織物ゴロフクレン呉絽服連オランダ語: grofgrein)や、これを略してゴロ江戸俗語)、フクレンまたはフクリン京阪俗語服綸幅綸)と呼ばれ唐縮緬とうちりめん)、略して唐縮(とうちり、とうち)とも呼ばれた明治時代入り貿易活発化し、日本人洋装化進行すると、メリノ種羊毛等で織った柔らかい薄手毛織物多く輸入されるようになり、これをメリンス(メレンス、オランダ語スペイン語: merinos)と呼んだ次第に「モスリン」との混同起き明治時代後半頃からはこれをもっぱらモスリン毛斯綸)、略してモス等と呼ぶようになった。後に綿織物モスリン流入したので、1920年代頃から、毛織物を「本モスリン」、綿織物を「綿モスリン」または「新モスリン」、「新モス」等と呼んで区別するようになったまた、シフォンを「絹モスリン」とも称する毛織物モスリンメリンス)は薄地柔らかくたたかい素材として好まれ普段用の和服冬物襦袢半纏の表、軍服夏服夏衣)などに用いられ伝統的な染色技法である友禅施した友禅メリンス流行した政府主導国内羊毛工業始まり最初紡毛毛織物生産中心であったが、次第梳毛毛織物生産始まり輸入羊毛への関税撤廃明治29年法律58号)された1896年明治29年)には、松本重太郎毛斯綸紡績東京モスリン紡織等が相次いで創業したモスリンラシャフランネルよりも生産速度早いこと等から興隆し、日本毛織物生産中心となっていった。日露戦争後には、原糸生産から一貫した国内生産可能になり、日本毛織モスリン製造乗り出して業界最大手となった第一次世界大戦による不況影響業績悪化もあったものの、その後回復し毛織物国内自給だけでなく、輸出行われるようになり、綿紡績会社毛織物業進出した神崎川越えて大阪市淀川区兵庫県尼崎市戸ノ内町を結ぶ一つに「毛斯倫大橋」があるが、この名称は初代の橋が毛斯倫紡績株式会社掛けただったことによる。 しかし、太平洋戦争突入すると、原毛輸入困難になり、モスリン製造業縮小余儀なくされた。1937年10月の「繊維製品使用制限公布もあり、羊毛製品にはステープル・ファイバースフ)の混入命じられた。戦後生産量戻したが、合成繊維登場により、毛織物は虫つきやすいことなどから、モスリン需要減り今日ではほとんど流通しておらず、目にする機会少なくなっている。なお、「新モス」は108センチメートル幅の布を縦に3分割した、幅36センチメートル長さ10.7メートル、または21.4メートル単位販売され、さらしと同様に着物下着用、裏地用や、ふんどし使われる場合が多い。

※この「日本におけるモスリン」の解説は、「モスリン」の解説の一部です。
「日本におけるモスリン」を含む「モスリン」の記事については、「モスリン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本におけるモスリン」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本におけるモスリン」の関連用語

日本におけるモスリンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本におけるモスリンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのモスリン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS