日本におけるモネ作品の受容とは? わかりやすく解説

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日本におけるモネ作品の受容

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 21:08 UTC 版)

日本にあるクロード・モネ作品一覧」の記事における「日本におけるモネ作品の受容」の解説

1994年開催された「モネ展」(ブリヂストン美術館など3館巡回)の図録によれば、その当時日本国内存在していたモネ作品100点大きく上回っていたという。なお、同図録によればモネ作品のうち、第一次大戦以前日本持ち込まれていたモネ作品は以下の4点のみであった。 『ベリールのライオン岩』(w.1090) 『ジヴェルニーの庭の少女』(w.1207) 『サン=シメオンの道』(w.28) 『モンソー公園』(w.399) 『ベリールのライオン岩』と『ジヴェルニーの庭の少女』は、美術商林忠正旧蔵である。1880年代からモネ交流があり、モネ所有していた浮世絵コレクション292点には、取扱品であることを示す「林忠正」印のあるもの17点、「わか井をやぢ」印のあるもの14点含まれる(「わか井をやぢ」印は美術店「若井商会」の印)。上述2点モネ作品1906年死去後1913年アメリカで競売かけられた。これら2点日本一般公開された記録はない。ただし、1910年頃に雑誌白樺同人志賀直哉武者小路実篤里見弴山脇信徳邸でこれらの作品見たことが記録されている。『サン=シメオンの道』と『モンソー公園』は住友友純ともいと、号春翠)の旧蔵品であり、林忠正仲介1897年日本もたらされた。これら2点同年以来日本保管されている。 1968年には中山公男黒江光彦が『国立西洋美術館年報』に「日本所在モネ作品」と題する報告発表している(序を中山本文黒江分担執筆)。これは1961年度科学研究費交附金の助成受けた日本所在欧米美術品調査」の一環として調査されたものであった当時日本所在欧米美術品は、所有者変更海外への輸出等により、その実態が不明確で、美術史研究支障をきたす事態になっていた。このため国立西洋美術館国立文化財研究所所属研究者からなる調査チームは、関係者からの聞き取り文献調査などの組織的な情報収集により、日本国内における欧米美術品所蔵実態明らかにようとしたのである。この調査の対象一つとしてモネ選ばれたのは、日本には古くから印象派絵画対す愛好があり、とくに日本人気の高いモネかんしては、調査の成果期待されたためであった。同報告には、国立西洋美術館所蔵品のほか、当時未公開だった作品含め全部38点のモネ作品日本所在するものとして報告されている。

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