日本におけるモンテッソーリ教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 11:51 UTC 版)
「モンテッソーリ教育」の記事における「日本におけるモンテッソーリ教育」の解説
子どもの自主性、自立心、知的好奇心などを育み、社会に貢献する人物となること(モンテッソーリ教育の終了は24歳)を目的とするモンテッソーリ教育は、欧米ではオルタナティブ教育として評価されている。一方、日本においては潜在能力を引き出す、知的能力をあげる、小学校のお受験対策といった英才教育や早期教育として注目され、幼児教育だと誤解されることが多く、マリア・モンテッソーリが、知的・発達障害の治療教育、貧困家庭の子供たちへの教育から、発展させてきた教育法であることはあまり知られていない。 日本でモンテッソーリ教育を最初期に広めた人物に、ロバート・W・アーウィンの長女ベラ(有院遍良)がいる。ベラは1913年にイタリアでモンテッソーリ教育の国際コースを受講し、マリア・モンテッソーリから直接指導を受け、帰国後自宅で幼児教育研究サロンを開き、1916年には私立玉成保母養成所と付属幼稚園を開校した。ただし日本が軍事国家への道を歩む中モンテッソーリ養育はこの時期に広く普及することなく、本格的な普及は第二次世界大戦後、鼓常良がモンテッソーリの主著3部作を完訳したことに始まる。鼓常良は1962年に京都・桂に幼児教育研究所を設立、その付属「月見が丘子どもの家」が敗戦後最初のモンテッソーリ教育施設である。
※この「日本におけるモンテッソーリ教育」の解説は、「モンテッソーリ教育」の解説の一部です。
「日本におけるモンテッソーリ教育」を含む「モンテッソーリ教育」の記事については、「モンテッソーリ教育」の概要を参照ください。
- 日本におけるモンテッソーリ教育のページへのリンク