新日本プロレス若手時代とは? わかりやすく解説

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新日本プロレス若手時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:44 UTC 版)

佐山聡」の記事における「新日本プロレス若手時代」の解説

豊浦小学校時代沢村忠影響格闘技志し乃木道場山口県下関市長府)で柔道始める。その後レスリングにも手を広げる山口県立水産高等学校入学するが、1年中退広島電通大付属高校3年生時に三重国体に75KG級の広島代表で出場3回戦福岡県代表の三井選手(後に福岡大学主将)に判定負け三井選手準々決勝兵庫県代表の矢野一郎選手関西学院高等部。後に関西学院大学主将)に敗れた1975年7月新日本プロレスに入門入門前に一度新日本訪れているが、その時新間寿から、身長が170cmを超えて体重が70kgになった連絡するように促され実際に身長が172cm、体重が72kgになってから再訪、そこで後楽園ホール行われた試合に連れて行ってもらった新間新日本弟子独断採用したのは佐山の時が初めてであり、アントニオ猪木からは最初「あんなちっこいの」呼ばわりされたが、その練習熱心さから次第猪木佐山認めようになった1976年5月28日魁勝司戦でデビューデビューしてからしばらくは連敗重ねていたが、試合内容良かったと言われている。入門2年目からは猪木付き人になった1977年11月14日行われた梶原一騎主催の「格闘技大戦争」で、全米プロ空手ミドル級第一位のマーク・コステロと両者ボクシンググローブ着用統一ルールの下で対戦した目白ジム打撃トレーニング積んで試合挑んだ佐山だったが、リーチの差と寝技無しルール苦戦し、1Rこそ果敢にバックドロップ反り投げなどの投げ技繰り出すが(ただし反則)、コステロアマレス経験があり受け身がとれた事とボクシンググローブ着用のためロック甘く技が決まらず、2R以降パンチ・キック膝蹴り一方的に攻めまくられ、毎ラウンドダウンしては立ち上がる」の繰り返しとなったプロレスラーとしてプライドで何とかKO負けこそ逃れたものの、6R終了まで良いところなく屈辱的な判定負け喫したリング下ではアントニオ猪木ストロング小林ウィレム・ルスカらが観戦しセコンドでは山本小鉄鼓舞激励するというプロレス威信をかけた試合だった。なお、この試合負けたから打撃取り入れた格闘技傾倒していったのではなく、元々リアル指向で、会社内緒打撃練習をしていた(そんなところからこの試合抜擢された)。 1978年にはEMLL主催するサルバドール・ルテロの救援要請受けたロスプロモーター、マイク・ラベールから新日本プロレス要請届き抜擢を受けキャリア2年メキシコEMLL派遣され、「サトル・サヤマ」のリングネーム活動慣れない環境食生活で、体重が20kg近く減るなどの苦労をしつつも、同団体ではNWA世界ミドル級王座獲得し一時期所属したUWAではグラン浜田とのタッグでも活躍したフロリダカール・ゴッチ道場経由して1980年にはイギリスへ渡りブルース・リー従弟こと「サミー・リー」のリングネーム東洋武術彷彿とさせるスタイルプロレスラーとして大活躍、立場は完全なベビーフェイス決め技日本とは違い風車式のバックブリーカー多用した。後にイギリスへ渡った前田日明は、「サミー・リー」の弟というギミックで「クイックキック・リー」のリングネーム活躍したことからも明らかであるように、この「サミー・リー」の当地における人気日本における「タイガーマスク」の人気匹敵するものであった。 なお、漫画プロレススーパースター列伝』にて描かれていた、メキシコ遠征時に名乗ったとされる覆面レスラー「ティグレ・エン・マスカラド」や、目の回り隈取り施したペイントレスラー「ミスター・カンフー」はフィクションであり、実際はこれらのリングネーム使われておらず、一貫して素顔試合行っている。

※この「新日本プロレス若手時代」の解説は、「佐山聡」の解説の一部です。
「新日本プロレス若手時代」を含む「佐山聡」の記事については、「佐山聡」の概要を参照ください。

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