新日本プロレス解雇 - プロレスリングZERO-ONE旗揚げ
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「橋本真也」の記事における「新日本プロレス解雇 - プロレスリングZERO-ONE旗揚げ」の解説
2000年(平成12年)8月23日、橋本は熱心なファンの折り鶴兄弟から送られた復帰を願う百万羽の折り鶴をきっかけに引退撤回を表明した。これについてはテレビ朝日のスポーツ番組『スポコン!』が特集を組んだ。10月9日東京ドームで藤波と復帰戦を行い、その直後に新日本内に別組織「新日本プロレスリングZERO」を作ろうとしたが、長州力らの反対にあった。その結果、橋本は11月13日付で新日本を解雇をされたため、直後にZERO-ONEを設立し完全独立した。12月23日にはプロレスリング・ノアに参戦(対戦相手は大森隆男)、同年の大晦日にはINOKI BOM-BA-YE 2000に参戦(対戦相手はゲーリー・グッドリッジ)。その後、ZERO-ONEには橋本の理想に賛同した新日時代の後輩でもある大谷晋二郎・高岩竜一が合流した。 2001年(平成13年)3月2日、橋本は両国国技館にて「破壊なくして創造はなし、悪しき古きが滅せねば誕生もなし、時代を開く勇者たれ!」との理念を掲げ、旗揚げの挨拶を行い、試合では新日本の永田裕志と組んでノアの三沢・秋山準組と対戦したものの、試合は19分10秒、三沢のジャーマン・スープレックス・ホールドで橋本がまさかのフォール負けを喫した。(他にも大谷晋二郎が村上一成にKO負けし、高岩はアレクサンダー大塚(現・男盛)と組み、高山善廣と大森隆男組と対戦し敗戦する等、初陣のZERO-ONE勢は全敗であった。)このメインイベントである橋本の試合後には、ノア勢に小川、藤田和之らも入り乱れての大乱闘に発展し(小川は三沢にマイクで「今度は三沢だからな!」と次期対戦をマイクでアピールし、三沢も珍しく「やってやるよ」とマイクで応戦した。)、プロレス界に大波乱を巻き起こした。後にこの後、小川とは和解してZERO-ONEにて共闘し「OH砲」として人気を得た。
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