新日本プロレス時代の略歴
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「成瀬昌由」の記事における「新日本プロレス時代の略歴」の解説
2001年7月20日、札幌ドームでの田中稔戦に初登場。IWGPジュニアヘビー級選手権として行われたこの試合で勝利し、第40代IWGPジュニア王者となった。以後1度の防衛を果たした。 2001年10月8日、東京ドームでのケンドー・カシン(この時は素顔で登場)とのIWGPジュニアヘビー級選手権に王者として参戦。26秒跳びつき腕ひしぎ逆十字固めに敗れ王座陥落。 2001年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2001に参戦したケンドー・カシン、永田裕志、安田忠夫のセコンドに(それ以前に、永田、ドン・フライの総合特訓にも帯同している)。安田の勝利に貢献。 2002年1月、新日本プロレス入団。 2002年6月7日、フリー参戦していたバス・ルッテンと対戦。KO負けを喫した。 2002年8月29日、当時大阪プロレスに所属していた村浜武洋と対戦。時間切れ引き分けに終わる。 2002年10月14日、佐々木健介退団騒動によって空席となった村上和成(当時は村上一成)の対戦相手に立候補し、東京ドームの新日本VS外敵軍7番勝負の第3戦に登場。黒のオープンフィンガーグローブを着けた村上に対抗して青色のグローブを着けて試合に臨むが、敗北を喫した。 2002年11月30日、獣神サンダー・ライガーのパンクラス参戦のセコンドに。 2002年12月、ヒート派と反ヒート派の抗争でヒート派に組する。 2003年1月、東京ドーム大会後、右肩の手術の為欠場。その間にULTIMATE CRASHルール作成に携わり、また同大会の運営に関わる。 2003年6月13日、鈴木みのるの新日本復帰戦に自ら名乗りを挙げ、日本武道館で対戦するも敗戦。試合後、魔界倶楽部星野総裁に魔界マスクを手渡される。また、この戦い以後、鈴木とのタッグを組まれることが多くなった。 2003年7月、執拗な魔界倶楽部の勧誘に遭う。同時に当時魔界5号を名乗っていた長井満也との抗争が勃発した。この抗争は2年近くに渡り、幾度かのタッグ結成を経て両者の退団まで続いていた。8月には成瀬にそっくりな覆面レスラー「スズキくん」が現れる。 2003年8月31日、矢野通、飯塚高史のパンクラス参戦のセコンドに。 2003年11月、成田空港でアントニオ猪木にINOKI BOM-BA-YE 2003参戦を直訴。 2003年12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!でヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤと対戦。勝利。 2004年1月4日、安田忠夫と対戦し、開始30秒スリーパーホールドによりレフェリーストップ勝ち。 2004年1月28日、棚橋弘至の持つIWGP・U-30無差別級王座に挑戦するもドラゴン・スープレックス・ホールドにより敗北。 2004年3月28日、獣神サンダー・ライガーの持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦するも敗北(GHC王座が初めてNOAH以外の団体でタイトルマッチを行った試合)。 2004年5月22日、ブルー・ウルフのK-1 ROMANEX参戦のセコンドに。 2004年9月19日、アントニオ猪木の命令で、垣原賢人、長井満也、柳澤龍志、中邑真輔と共に北朝鮮で行われた第1回国際武道大会に参加。エキシビションマッチで垣原と対戦した。 2004年10月、真壁刀義と下克上宣言を行う。 2004年10月23日、ブラジルで行われたJungle Fight 3に参戦。トニー・ウィリアムスに勝利。 2004年10月31日、ジョシュ・バーネットのPRIDE参戦のセコンドに。 2004年11月3日、抗争を続けていた長井満也と組み、天龍源一郎、渕正信の所持していたアジアタッグ王座に挑戦(7月26日にも挑戦したが奪取失敗)。勝利し、第77代アジアタッグ王座となった。その後、2度の防衛に成功し、2005年2月2日にベルトを失う。 2004年11月13日、「闘魂祭り」でのハッスル軍による新日マットでのハッスルポーズを阻止。小川直也にチョップを叩き込む。リング上で「今日は『闘魂祭り』。ハッスルしていい場じゃない。」とアピールした。 2005年1月4日、アルティメットロワイヤルに登場。1回戦でロン・ウォーターマンと対戦するが、パワーボムからのマウントパンチでレフェリーストップ負け。 2005年、度重なるケガにより欠場と復帰を繰り返す。下克上宣言を行った真壁刀義、矢野通がBNJ(ブラックニュージャパン)に加入するとこれと争う。長州力が現場監督に就任すると、ケガも重なって試合数が激減した。 2006年1月、契約更改せずに新日本を退団し、フリーランスとなった。
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