新日本プロレス社長就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:43 UTC 版)
1999年に坂口征二の後を継ぎ新日本プロレス社長に就任。しかし在任中に橋本真也、武藤敬司、長州力、佐々木健介など主力選手の退団が相次ぎ、折からの総合格闘技ブームや新設されたNOAHの盛況もあって苦しい経営を迫られた。また、会社の経営状況を把握出来ていなかったり発言の趣旨が二転三転することが多かったりと、藤波自身も経営者として問題があった。優柔不断な面があったことから「こんにゃく社長」とも称された。
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