救助作業と復旧活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 21:26 UTC 版)
「箒川鉄橋列車転落事故」の記事における「救助作業と復旧活動」の解説
事故の連絡を受けた宇都宮駅長は、鉄道嘱託医の神野勇三郎(宇都宮市神野病院長)に現地への出動を依頼した。神野病院の医局員全員と25名の看護婦、さらに赤十字社栃木支部と県立宇都宮病院からの人員で結成された救護班に復旧要員(駅員20名、保線係員40名)を加えた一行は、駅助役に引率されて宇都宮駅20時00分発の救援列車で現地に出発した。その他に大田原などから開業医が事故現場に駆けつけ、宇都宮駅からの救護班よりも早く遭難者の治療にあたった。 事故の連絡を受けた日本鉄道本社は、技術長毛利重輔以下の社員十数名と作業員70名ほどを現地に派遣することを決め、順天堂病院にも救援を依頼した。順天堂病院ではこの依頼を受けて、院長佐藤進自身と医師5名、看護婦13名が同行することになった。日本鉄道本社からの人員と順天堂病院からの救護班を乗せた救援列車は、23時に上野駅を出発した。救援列車には復旧機材と治療用の薬品の他、毛布150枚、フランネル着物150枚、袷100枚、メリヤスシャツ100枚及び食料が積載されたという記録が残されている。 西那須野駅からは事故の一報を受けて野崎駅までトロッコで向かうことになり、西那須野町の医師樋谷松三郎に同行を依頼した。矢板方向にあたる箒川の右岸では多くの医師や看護婦が遭難者の救護に当たったが、暴風雨のため箒川橋梁を渡れなかったため、左岸の野崎駅側に引き上げられた人々にとって樋谷の来診は大きな救いであった。 上野駅からの救援列車は、事故翌日の10月8日未明3時30分に宇都宮駅に到着した。順天堂病院からの人員は2班に分かれて佐藤院長が率いる班は宇都宮で下車して神野病院で入院中の患者を診療後に待機し、副院長佐藤恒久の率いる班は現地へと向かうことになった。宇都宮駅に待機した佐藤院長の班は、早朝に駅の1、2等待合室で負傷者28名に応急の手当を行い、入院加療の必要ありと診断した負傷者を神野病院に送った。その後こちらの班も現地へ向かい遺体5体の他に負傷者がいないことを確認して宇都宮に引き返して1泊し、10月9日には再度神野病院と県立宇都宮病院で負傷者の治療に当たった。その後一行は16時発の上り列車で東京に戻っている。 第375列車には、埼玉県警察の巡査加藤政之(入間郡坂戸警察分署勤務)がたまたま乗車していた。加藤は宮城県名取郡秋穂村の出身で、父の病気見舞いのために休暇を取って郷里に向かう途上であった。事故に遭遇して加藤自身も負傷したが、濁流に飲み込まれかけた他の乗客の救助を敢行して7、8人を助け上げた。埼玉県は、加藤の勇気を称えて10月10日付で見舞金を贈呈した。その内訳は埼玉県知事正親町実正から15円、埼玉県警察部長山田幹より5円、警察職員一同から50円であった。さらに加藤は同日付で2号俸昇給し、5級俸に格付けされている。 現地の消防組は、事故発生を知ると箒川まで駆けつけたが激しい風雨のために橋上の通過ができず、中州にいる負傷者を救助に赴くことができなかった。消防組の人々は縄とはしご、そして鳶口を用いて救助作業を開始し、死者を含めて30余名の重軽傷者を救助した。この時期は自治体単位の消防組織のない時代だったため、消防組は村または村の大字単位で青壮年が加わって組織されていた。この事故で出動したのは、矢板、三島、蓮葉、石上、針生、土屋、山田からの消防組であった。救助作業終了後、消防組は引き続き転落車両の撤去作業に協力することになった。 現場の復旧作業は、列車の脱線で損傷した枕木の取り換え作業が主体だったため迅速に進捗し、事故翌日の10月8日9時には試運転機関車が走行して開通した。事故発生後野崎駅で停車させられていた第375列車も、同じく9時に福島へ向けて発車している。 天候が回復し、箒川の増水も治まってきた10月9日早朝から、転落車両の撤去作業が開始された。鉄橋から転落した客車は木製のため大破し、箒川の急流に巻き込まれて流されていた。中州に落ちた車両などは破砕した上で鉄橋上に引き上げ、無蓋貨車に積載して野崎駅まで運搬した。当時はクレーン車など存在しないため、作業は全て人力に頼ることになった。このときの作業工程は杉丸太を2本用意して鉄橋に固定し、休憩用の長椅子の両端にロープを縛り付けてバケット代わりに使った。鉄橋上には滑車を取り付け、杉丸太をガイドレール代わりに使って、長椅子に廃材を括り付けて運搬したという。この作業は、10月10日の夕刻に終了した。
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