政治哲学への回帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 17:30 UTC 版)
「アメリカ合衆国の哲学」の記事における「政治哲学への回帰」の解説
分析哲学者たちは[主として]概念的・抽象的な主題に取り組んだため、1970年代まで、アメリカ合衆国の哲学は(アメリカ建国時にその主たる研究対象であった)社会的・政治的主題への関心を完全に取り戻してはいなかった。社会哲学と政治哲学の復権は、道徳的エゴイズム(「客観主義」(Objectivism)と呼ばれた)を推奨したアイン・ランドの作品が人気を博したことをきっかけとする。 『水源』(1943年)と『肩をすくめるアトラス』(1957年)というランドの2つの小説は、コレクティブという小さな学生集団から始まる客観主義ムーブメントを生み出した。その学生集団の一人が、後にリバタリアンの連邦準備制度理事会議長として知られることとなるアラン・グリーンスパンである。客観主義は、外的現実は理由を持って知ることのできる客体であり、人は彼自身の理にかなった自己利益と合致するように行動すべきであって、最も優れた経済形態はレッセフェール資本主義であると主張した。。哲学者達はランドの業績のクオリティや知的な厳密さについて極めて批判的であったが、その論争性にもかかわらず、彼女はリバタリアニズム運動の中で人気を博しつづけている。 1971年、ジョン・ロールズは『正義論』を出版した。ロールズはこの本の中で、社会契約論を基礎とした「公正としての正義」(justice as fairness)という考えを提示している。ロールズは、「原初状態」(original position)を描き出すために、「無知のヴェール」(veil of ignorance)という概念装置を用いた。 ロールズにおける「原初状態」(the original position)という概念は、ホッブズ主義における「自然状態」(state of nature)という概念に対応するものである。原初状態において人々は、各人の性格や社会的立場(たとえば人種、国籍、財産)についての知識を失わせる無知のヴェールの下にある。正義の原理は原初状態にある理にかなった人々によって選択される。[ロールズが原初状態において人々に選択されると主張する]正義の二原理は、平等な自由に関わる原理と社会的・経済的不平等の政府による分配に関わる原理である。ロールズは、社会的・経済的不平等を最も恵まれない人々に最大の利益を与えるよう再編成することを要求する「格差原理」(Difference Principle)と一致する分配的正義の枠組みについて論じる。。 自由意志論者ロバート・ノージックはロールズの考えを政府による過度の統治と権利侵害を促進していると見なし、1974年に『アナーキー・国家・ユートピア』を出版した。この本では、最小の国家を論じ、個人の自由を防衛している。政府の役割は「警察の保護、国家防衛および裁判所の管理に限定し、現代政府によって通常に行われている他の任務、すなわち教育、社会保障、福祉等々は、宗教団体や慈善団体など自由市場で運営される民間組織に取って代わられるべきだと主張している。 ノージックはその見解を公正さの授権理論と主張し、もし社会の誰もが獲得、移行および調整の原則に従ってその所有物を獲得するならば、その配分が如何に不公平であろうとも割り付けのパターンは公正であるとしている。公正さの授権理論は「分配の公正さが実際にある歴史的状況によって決定されるが(終局状態理論の反対)、最も一生懸命に働いた者あるいは最も分け前に値する者が一番の分け前を得られることを保証する如何なるパターンとも関係を持たない」と主張している。 アラスデア・マッキンタイアはイギリスで生まれ教育を受けたが、アメリカ合衆国に40年間ほど生活し働いた。マッキンタイアは古代ギリシアにおいて提唱された道徳論である徳倫理学に関する関心を再生させた功績がある卓越したトマス・アクィナス主義政治哲学者と考えられている。「現代の哲学と現代の生活は理路整然とした道徳法の欠如によって特徴付けられ、この世界に住む大半の個人はその人生に意味ある目的感が無く、純粋な社会も欠けていると主張している。マッキンタイアはこのような状態を正すための適切な方法は個人が適切に美徳を獲得できる純粋に政治的な社会に戻ることであると考えている。 学術的哲学とは別に、政治と社会の関心は公民権運動とマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの著作が中心的話題になった。
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