政治哲学としてのイングソック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 08:43 UTC 版)
「イングソック」の記事における「政治哲学としてのイングソック」の解説
作中では、オセアニアの「人民の敵」エマニュエル・ゴールドスタインの書いたとされる禁書(『少数独裁制集産主義の理論と実際』)にイングソックの実際の姿が描かれている。ここではイングソックは「イングランド社会主義」ではなく「少数独裁制集産主義」(Oligarchical Collectivism)と呼ばれる。イングソックは古い社会主義運動の中から発してその名を残してはいるものの、「社会主義運動が本来拠って立ってきた原則のすべてを拒否し中傷し、それを社会主義の名によって行った」、と書かれている(オーウェルが『動物農場』で扱った試みも参照)。 実際のオセアニアの政治体制はゴールドスタインの禁書の題名通り、経済的には集産主義をとり、政治的には寡頭制(少数独裁制)をとる。寡頭支配層が倒されることを防ぐため、また体制が不安定になることを防ぐため、強固な管理社会が築かれている。これは国民に対する徹底した監視(「テレスクリーン」と「密告」)、国民の思考能力の制限(「ニュースピーク」と「二重思考」)、歴史や記録の絶えざる改竄、科学技術の進歩に対する制限、資本を浪費するための永久戦争などの特異な手段によって行われ、権力に対する抵抗は決して実を結ぶことのないようにされている。 党は「ビッグ・ブラザー」(偉大な兄弟)により「擬人化」されている。「ビッグ・ブラザー」は革命の指導者で、現在では党の頂点にいる権力者とされるが、作中で彼自身が登場することはない。「ビッグ・ブラザー」の顔はあらゆる街角のポスターやテレスクリーンの番組などに遍在しており、党がいつも国民を監視していることを示唆するように、ポスターには「ビッグ・ブラザーがあなたを見守っている」と書かれている。イングソックは国民の完全な服従を求め、その実現のためには逮捕や拷問も辞さず、恐怖により国民を支配している。党は複雑な心理学的道具や手法のシステムに精通しており、これによって国民に犯罪を自白させ反乱の意思を忘れさせているだけでなく、「ビッグ・ブラザー」や党自身を心から愛させるように仕向けている。ゴールドスタインの本では、国民の愛と恐怖と尊敬といった感情は、組織に対してよりも、個人に対して起こりやすいとされており、「ビッグ・ブラザー」とはこうした感情を党へ集めるために作られた存在である。 作中人物のオブライエンによれば、党は純然たる権力のために権力を求めている。彼はこう語る。 ナチ・ドイツもロシア共産党も、方法論の上ではわれわれのそれに極めて近かったが、しかし、彼らには権力追求の動機を口にするだけの勇気は無かった。彼らは不本意ながら、そして暫定的に権力を握ったのであり、しかも眼前に人間の自由と平等を実現する地上の楽園が来ているような態度を装うか、あるいは本気にそう思い込みさえしたのであった。われわれはそんな手合いとは違うんだ。およそこの世に、権力を放棄する心算で権力を獲得する者はいないと思う。権力は一つの手段ではない。れっきとした一つの目的なのだ。何も革命を守るために独裁制を確立する者はいない、独裁制を確立するためにこそ革命を起こすものなのだ。迫害の目的は迫害それ自体にある。権力の目的は権力それ自体にある。拷問の目的は拷問それ自体にある。
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