捜索・救難飛行艇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/07 17:34 UTC 版)
「Be-12 (航空機)」の記事における「捜索・救難飛行艇」の解説
Be-12PS チャイカ / Бе-12ПС Чайка 用途:捜索救難機 設計者: TANTKベリーエフ 製造者: 運用者 ソ連(海軍航空隊) ロシア連邦(海軍航空隊) ウクライナ(海軍航空隊) 生産数:14機(10機を新規生産、4機をBe-12から改装) 生産開始:1971年 運用開始:1972年 運用状況:現役 表示 Be-12PS チャーイカ (Бе-12ПС)は、Be-12の派生型として開発された捜索救難機である。なお、「PS」は、ロシア語で「捜索救難機」を意味する「Поисково-спасательный самолет」の略である。 Be-12の増備により余剰化したBe-6は捜索・救難機として用いられていたが、新たな機体が必要となることは時間の問題であった。しかしながら、この分野へは、多くの時間や経費をかけることへの許可は期待できなかった。この用途へは新たにBe-14 (Бе-14)が開発されていたが、この新型機への運用側の姿勢はあまり積極的なものではなかった。そのため、既存の対潜哨戒飛行艇から爆撃装置や捜索・追跡システムなどを取り払い機内構造を整理し、治療室を設け医療器具を搭載した機体が開発された。また、乗組員には医療専門のメンバーが加えられた。着水しての救助活動に当たっては、空気展張式のモーター救助ボートLAS-5S(ЛАС-5С)が使用されることとなった。空中から遭難者を引き上げるための装置は機体右舷のハッチから行われることとなった。この機体の積載量は、Be-14同様通常15人、最大で29人までとなった。また、空中からの救助のためKAS-90(КАС-90)非常用コンテナーを7つまで機外に搭載することとされた。 こうして完成されたBe-12PSは1969年に試験を通過し、1971年から少数がタガンローク工場で生産された。一部は直接工場の部隊に配備された。 1972年には、海軍と開発側が共同で悪天候時における海上救助任務に関する評価を行った。同年10月5日から、Be-12PSの試験飛行が行われた。13回の飛行と29回の離着水が行われ、飛行時間は14時間29分に及んだ。 着水時の安全性の確保のため、本来の装置以外に機首へはPRF-4(ПРФ-4)ヘッドライト、RV-UM(РВ-УМ)電子高度計にかえて新しいRV-ZM(РВ-ЗМ)、海面指示爆弾OMAB-8N(ОМАБ-8Н)、照明爆弾CAB-100-90(САБ-100-90)が搭載された。 調査は第二段階へ進められた。着水時に関する概要が仕上げられ、悪天候時の試験で使用された装置の昼間での着水時における装備が試された。第二段階では光学装置と悪天候時の試験で決定された仕様が評価された。 出された結果によって、内海での夜間着水は可能であると結論付けられたが、なお若干の注文が付いた。それに従い、以前より必要性が指摘されていたメートル波波高計を装備することが予定され、その他にも低高度時に使用するエックス線高度計ファーケル-1(Факел-1:факелは「松明」のこと)が追加装備されることとなった。この装置は、飛行高度のみならず降下時の垂直速度も計測するものであった。 これらの変更点を仕上げたあとも試験は続けられたが、重要な変更は生じなかった。1973年までBe-12PSの生産は続けられ、最終的に10機が製造された。 Be-12PSは、ソ連の崩壊後は独立したロシアで多数が継続運用されたほか、ウクライナへも10 機のBe-12および1 機のBe-12PSが引き継がれ、海軍航空隊で運用された。なお、ウクライナ語で「捜索救難機」に当たる単語が「Пошуково-рятувальний літак」であることから、ウクライナ軍ではBe-12PSのことをBe-12PR(Бе-12ПР)呼称している。 1997年8月には、ウクライナでBe-12PRの救難機としての運用範囲の拡大を目的とした試験が行われた。この試験ではウクライナ海軍航空隊救難部隊の責任者の指示により、Be-12PRから浮遊救難具が投下され、パラシュートを背負った救助員が飛び降りた。フェオドーシヤにある国立航空科学研究センター(GANTs;Государственный авиационный научно-исследовательский центр;ГАНИЦ)のパラシュート降下専門家によって機内に樋が準備された。その支援により、機上作業者は操縦士の合図に従って救難ボート、2 艘のLAS-5M-3(ЛАС-5М-3)または1 艘のPSN-6A(ПСН-6А)を投下し、降下救助員は通信士ドアより飛び降りた。試験は、GANTsの降下救助員によって続けられた。20回にわたる試験は、ボートの投下・展張も含め万事順調に行われた。また、取り付けられた樋はパラシュートの安定化に寄与した。降下救助員は1人、2人、または4、5人のグループで飛び降りた。試験は上首尾に終わり、その結果によって航空隊へのBe-12PRの追加が決められた。このような救難ボートと降下救助員の投下は、その後も1998年から1999年にかけての間ウクライナ海軍とロシア海軍黒海艦隊との合同演習やオデッサ軍港での模擬訓練などで一度ならず実施された。通常機上では6 艘のボートと2、3人の救助員が搭乗していた。 その後、ウクライナではBe-12およびBe-12PRの退役を開始したが、2006年には2 機のBe-12PRが海軍航空隊に復帰され、運用が継続されている。また、アゼルバイジャンの保有していたBe-12PSを2 機のアップグレード型MiG-29との交換で入手している(機体番号05、旧32)。2008年現在稼動が確認できる機体は機体番号02、04、05、06の4 機で、NATOとの合同演習「シーブリーズ」に参加するをはじめとする幾つかの演習に参加するなど積極的に活動している。黒海やアゾフ海の海域ではロシア海軍とウクライナ海軍が保有するBe-12以上に優れた航続距離を持つ機体がないため、ウクライナ海軍では装備品を近代化してBe-12ならびにBe-12PRの運用を継続する必要がある。その一方で、機体自体の老朽化は否めず、2010年代には退役するという観測もある。
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