戦艦に対抗する小型艦とは? わかりやすく解説

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戦艦に対抗する小型艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:07 UTC 版)

青年学派」の記事における「戦艦に対抗する小型艦」の解説

1820年代アンリ=ジョセフ・ペクサン(Henri-Joseph Paixhans)は炸裂弾発射可能な艦砲であるペクサン砲開発したが、この強力な砲を多数小型蒸気軍艦搭載することにより、より大型戦列艦破壊できる考えた。またアメリカ南北戦争における南軍私掠船アラバマ」(CSS Alabama)の活躍は、通商破壊有効性を示すものであった青年学派の祖とも言えるフランス海軍のグリヴェル大佐フランス語版)(Louis-Antoine-Richild Grivel、1827年-1883年)は、1869年出版した本で新兵器開発通商破壊が対英国戦略として有効であると発表した。この考えは後は青年学派指導的立場となったテオフィル・オーブ提督引き継がれた。オーブ戦争目的は「敵に最大限苦痛与えること」であり「敵艦隊を撃滅することは重要ではない」としたが、これは従来考えと全く異なるため、彼の一派Jeune École(英語に直訳するyoung school)と呼ばれることとなる。 すでに水雷外装水雷艇は実現しつつあり、また自走式魚雷発明により、理論はさらに精巧なものとなったオーブ提督1882年に『海軍戦争フランス軍港("La guerre maritime et les ports militaires de la France")』と題する38ページパンフレット出版したこの中で彼は「新技術開発例え魚雷用いることにより、敵の海上封鎖無効化できる。従って、戦艦作るよりも、海岸線を守るために多く水雷艇沿岸警備艦、体当たり艦等の小艦艇を持つべきである。攻撃に関しては、巡洋艦用いた通商破壊を行うべきで、何れの場合でも、高速艦艇が必要である」と主張した1883年-1885年清仏戦争におけるフランス海軍勝利は、従来海軍対す水雷艇可能性実証するものと思われた。 やがて青年学派は、政治家マスコミ巻き込んだ論争となっていった。記者のガブリエル・シャルム(Gabriel Charmes)は1884年から1885年にかけて政治紙にこの理論紹介する記事書いたが、彼は水雷艇貧者武器とし、対置する戦艦保守的な王党派象徴として青年学派共和主義結び付けて海軍内の王党派攻撃したオーブが本来提唱していた理論では水雷艇巡洋艦だけでなく戦艦海軍構成要素として欠かせなかったが、シャルム急進的共和主義者単純化して戦艦全廃水雷艇巡洋艦のみの編成唱えた産業観点から見ると戦艦建造大量装甲板供給する鉄鋼業巨大な造船所が必要であり、急進的共和派戦艦への攻撃をこれらを所有する実業家へ攻撃結び付けた1886年1月7日オーブ海軍大臣任命されたが、これは彼の思想認められと言うよりは、イデオロギー闘争利用するための共和派による政治判断であった海軍大臣となったオーブは早速彼の思想実現試みた1861年2月にはシェルブールからジブラルタル海峡廻ってトゥーロンまで水雷艇航海させたが、全長33m程度水雷艇では外洋航行するのは困難であった同年5月6月には、8隻の戦艦からなる攻撃側を、20隻余の水雷艇(3隻の巡洋艦と1隻の海防戦艦支援)で阻止する演習が行われた。攻撃側ツーロン艦砲射撃することには成功したが、大半撃沈判定受けた。これにより、大型艦による近接封鎖不可能であることが証明された。同年12月オーブは、「(1) 戦艦全てツーロン配備し地中海でイタリア海軍に対して攻勢に出る、(2) 英仏海峡では守勢徹する(3) 大西洋において通商破壊実施する」と戦略変更したフランスまた、潜水艦の開発にも熱心であった。これもまた、イギリス海軍戦艦の数で劣るところを技術開発対抗しようとするものであった海軍大臣就任後3ヶ月目に、オーブ最初電池推進潜水艦である「ジムノート」の建造認めた20世紀初めまでに、フランス海軍は「疑いなく実用的な潜水艦戦力を有した最初海軍となった19世紀末まで、フランス海軍はこの戦闘システムの最も強力な支持者であった。しかし1898年ファショダ事件において、青年学派に基づくフランス海軍戦艦の不足からこのような海上危機においてイギリス海軍対抗できない示され1900年には新たな戦艦建造を含む従来型艦隊建設認められた。しかし、1902年にカミーユ・ペルタン(Camille Pelletan)が海軍大臣就任すると、再び青年学派復活した。この思想捨てさられたのは日露戦争戦艦有用性確認されたかなり後であったが、結果としてフランス海軍戦艦数においてドイツにも劣ることとなり、第一次世界大戦でもほとんど活躍できなかった。

※この「戦艦に対抗する小型艦」の解説は、「青年学派」の解説の一部です。
「戦艦に対抗する小型艦」を含む「青年学派」の記事については、「青年学派」の概要を参照ください。

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