戦後 - ピープルズバンク路線とは? わかりやすく解説

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戦後 - ピープルズバンク路線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:21 UTC 版)

三和銀行」の記事における「戦後 - ピープルズバンク路線」の解説

終戦直前第2代頭取日銀出身岡野清豪就任戦後GHQ連合国軍総司令部)は当初同行財閥銀行同列扱い制限会社指定検討したが、非財閥系「ピープルズバンク」であるという訴え粘り強く続けた事実三和銀行大阪船場繊維産業への融資中心にしていたため戦時中軍需融資少なく指定金融機関軍需融資先数でも最も多い日本興業銀行146社に対し三和銀行64社にとどまっていた。このため制限会社指定決定取り消された。 1947年2月第3頭取同じく日本銀行出身渡邊忠雄就任戦後の混乱期の中で経営再建乗り出す1948年3月三和銀行金融機関再建整備に基づき軍需補償打切に伴う損失補填のため資本金を1538万円減資したが、同年10月には10億円増資し新発足した行名不変で「親しさも名も変わらぬ三和銀行」をスローガン強力な預金増強運動展開し終戦直後には6位だった預金順位を、1949年3月には3位とした。高度経済成長下において、同行は「ピープルズバンク」を基本理念とした経営基本戦略積極的に推進し1955年3月には全国どこでも出し入れできる普通預金ネットサービス預金創設した国際化の面では、1953年1月サンフランシスコ支店1957年にはロンドン支店開設している。なお、1959年大蔵省信託分離政策に沿い、三和銀行神戸銀行信託部門野村證券証券代行業務部門及び投資管理業務部門承継して、東洋信託銀行発足させている。この頃から融資系列における繊維偏重路線は、その斜陽化によって軌道修正迫られていく。 1960年5月、初の生え抜きとして第4代頭取上枝一雄就任会長となった渡邊と共にバンク・オブ・アメリカなどの視察からアメリカ商業銀行倣い「ピープルズバンク」(リテールバンキング路線推進する1960年12月には最初消費者金融「ドリームローン」の開始1963年には資金使途自由な暮しローン」を創設するなど、消費者金融開発努力したまた、1963年にはニューヨーク1964年には香港と、海外相次いで支店設置し国際化進展と共に外国為替業務強化に力を注いだ1961年には、日本信販(現:三菱UFJニコス)と共同日本クレジットビューローJCB日本2番目のクレジットカード専業会社。1番目は日本ダイナースクラブ)を設立1964年日綿実業(現:双日)と共同で、日本2番目のリース会社オリエント・リース」(現:オリックス)を設立している。この頃企業集団として、融資系列中心にみどり会結成し経済旋風社 などの新興企業への融資強めていく。 主要大株主推移順位株主1962年3月所有率株主1968年3月所有率1 大日本紡績 2.05 日本生命 2.27 2 明治生命 2.04 帝人 2.27 3 宇部興産 2.00 明治生命 2.27 4 帝国人造絹糸 1.80 ニチボー 2.05 5 東亜紡織 1.60 宇部興産 2.00 6 日レイヨン 1.50 富士製鉄 1.75 7 日本生命 1.50 大同生命 1.59 8 丸善石油 1.50 日立造船 1.59 9 富士製鉄 1.50 日本レイヨン 1.59 10 日本通運 1.50 日立造船 1.59 ※順位同列場合五十音順列挙出典野口佑,『日本の都市銀行』,1968年,2301971年9月、第5代頭取就任した村野辰雄は「ピープルズバンク」路線徹底的に強化するため、全行員に「お客さまお役に立つ銀行、ユア・バンク」の考え徹するよう強調し個人預金日本一実現した。また村野国際であったため、国際合同銀行および加州三和銀行設立海外各地拠点開設、ブラデスコ投資銀行への資本参加中国との円元決済問題での合意など、新機軸次々と打ち出した1976年、第6代頭取赤司俊雄就任。赤司は「人間尊重」を経営理念とし、「ひと味違うピープルズバンク」の実現目指した。その一環としてQC活動銀行業務導入している。またこの頃三和銀行弱点だった首都圏基盤強化目的富士銀行現在のみずほ銀行)との合併画策するも、大蔵省反発遭い頓挫してしまう。1982年第7代頭取川勝堅二就任海外経験長い川勝は銀行業務新展開を「国際化証券化」に向けた。川勝のもとで三和銀行は「ピープルズバンク重視」に加えインベストメントバンク重視」を打ち出し両者統合したユニバーサルバンキング」を目指した。アメリカ大型リース会社証券会社買収など思い切った海外戦略を展開、国内でも証券業務強化し人材インベスト部門傾斜投入した。またこの頃シンクタンク三和総合研究所(現:三菱UFJリサーチ&コンサルティング)を設立した

※この「戦後 - ピープルズバンク路線」の解説は、「三和銀行」の解説の一部です。
「戦後 - ピープルズバンク路線」を含む「三和銀行」の記事については、「三和銀行」の概要を参照ください。

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