戦後、ソ連崩壊まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/22 06:15 UTC 版)
戦時中、クイビシェフに置かれていた首都機能がモスクワに戻された直後からクイビシェフ市電の復旧が始まり、運休していた路線や走行不能となっていた車両の修理が行われた。その後も車両の増備が続いたが、戦後の路線延伸工事が始まったのは1962年からとなった。また、1969年からは新たな車庫(現:北部車庫)が開業したが、これは1963年から導入が開始されたチェコスロバキア(現:チェコ)製の路面電車車両・タトラT3SUの配置を念頭に置いたものであり、この形式は1986年までに600両以上の大量導入が実施され、各地の車庫に在籍する事となった。 市電の車両数が最大に達したのは1966年(計539両)で、路線網は1970年代以降も拡大を続けたが、1982年に地下鉄が開通した事に合わせて並行する路線の廃止が行われた。ただし新規路線の建設はそれ以降も1980年代の終わりまで続けられている。
※この「戦後、ソ連崩壊まで」の解説は、「サマーラ市電」の解説の一部です。
「戦後、ソ連崩壊まで」を含む「サマーラ市電」の記事については、「サマーラ市電」の概要を参照ください。
- 戦後、ソ連崩壊までのページへのリンク