戦後 ~ カトリック入信〜晩年
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「五月信子」の記事における「戦後 ~ カトリック入信〜晩年」の解説
戦後間もなく、元大阪毎日新聞学芸部記者・御手洗彦麓と再婚。カトリック信者であった夫の影響で、自身もカトリックに入信し、「マリア」の洗礼名を受ける。 1952年1月、当時夫が専務理事をつとめていた財団法人「カトリック・セツルメント」の主催により、上智大学講堂にて夫との共演で『兄いもうと』を上演。同年8月には、同財団が設立した映画会社「リリア・アルバ社」製作による海外輸出向け作品『乱世の白百合(細川ガラシャ)』で、「マリア・ミタライ」の名義で主演の細川ガラシャを演じた。細川忠興役は、同じ井上正夫門下の山村聡がつとめた。また、「新日本劇」時代の同僚だった柳永二郎や、娘婿に当たる小林重四郎なども出演した。この作品は、夫が団長をつとめるカトリック平和使節団がローマを訪問した際、同地で上映され、3年後の1955年には、『戦国異聞』の題名で日本でも公開された。 1959年7月21日、脳溢血のため、東京都内の自宅で死去。65歳(満年齢)であった。
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