戦後、ソ連崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 08:29 UTC 版)
第二次世界大戦で荒廃した車両や施設の本格的な復旧は1946年から始まり、資材や予算が不足する状況の中でも車両の更新・増備が行われた。また同時期にはトロリーバス(オデッサ・トロリーバス(ロシア語版))も運行を開始し、1950年代はトロリーバスの延伸が優先されたが、1960年代以降は両者とも路線規模の拡大が実施された。1965年から1970年までに計8.8 kmが延伸され、車両もソ連のみならず東ドイツ(現:ドイツ)からも多数導入された。また1966年からはチェコスロバキア(現:チェコ)で開発されたタトラT3の営業運転が始まり、大量導入を経てオデッサ市電における標準型車両となった。1970年代後半にはオデッサ市電の路線網が最大規模に拡大したが、その一方で戦前から残存していた軌間1,000 mmは改軌および廃止が進み、最後に残った30号線は1971年をもって廃止されている。 オデッサ市の路面電車・トロリーバス管理部門(Трамвайно-троллейбусное управление)によって長らく運営されていたこれらの交通機関は、ペレストロイカなどの改革が進行していた1980年代後半以降、路線や系統の廃止により規模が縮小し始めた。経済の混乱が要因となった資金不足はソ連崩壊後にさらに深刻化し、車両や施設の更新のみならず従業員への賃金支払いも難しい状況となった。さらに1990年代には数年に渡りこれらの交通機関の運賃が事実上無料になる事態となり、企業の再編が即急に求められた。 それを受け、1999年にオデッサ市内の路面電車やトロリーバスを運営する公共事業体「オデスゴルエレクトロトランス(КП «Одесгорэлектротранс»)」が発足し、各種交通機関の近代化や安定化へ向けての各種事業が行われることとなった。
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