タトラT3SU
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「タトラT3」も参照 チェコスロバキア(現:チェコ)のČKDタトラで開発された東側諸国の標準型車両・タトラT3のうち、ソ連向けの仕様変更を施した車両。オデッサ市電には1966年から1987年まで大量導入が実施され、旧型車両の置き換えが完了した1989年からT3Mが導入された1997年までは市電の全営業用車両がタトラT3SUで統一されていた。そのうち1976年まで製造された車両は乗降扉が2箇所(前・後)、それ以降の車両は3箇所(前・中・後)に設置されている。 2020年現在、次項で述べる更新工事が実施されたものを除いて、2扉車が5両、3扉車が29両営業運転に使用されている。
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タトラT3SU
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「ピャチゴルスク市電」の記事における「タトラT3SU」の解説
かつてチェコスロバキア(現:チェコ)に存在したČKDタトラが展開した路面電車車両・タトラT3のうち、ソビエト連邦(ソ連)向けの仕様変更が施された形式。1967年から1987年にかけて117両が導入されたが、そのうち1975年まで製造された84両は車体右側2箇所(前・後)に乗降扉が存在する2扉車、同年から1987年まで導入された33両は3箇所(前・中・後)に扉がある3扉車であった。 従来の車両と比べて性能面や収容力面で優れていたタトラT3はそれまで使用されていた2軸車を置き換え、長年に渡りピャチゴルスク市電の主力車両として在籍し、運用時は総括制御による2両編成を主体としていた。しかし1990年代以降は老朽化により後継車への置き換えが進み、2両編成による運行も2000年代前半以降行われなくなった。2扉車は2004年までに営業運転から撤退し、3扉車についても2020年現在事業用車両を除いて1両のみ残存する。 「タトラT3SU」も参照
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