タトラT11
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経営者が再び自動車部門重視派に変わったのを機に、ハンス・レドヴィンカが招聘を受けて復帰したのは1921年であった。彼は主任設計者(のち技術担当重役)となり、シュタイア社で果たせなかった小型車の設計に乗り出した。 ブランドがタトラと改称されてから最初の新設計モデルとなった「T11」は、レドヴィンカが交通事故で入院中に着想したもので、1924年に完成した。1100cc・12HPの小型車であるが、シャーシ構造は前例のないユニークなものであった。 鋼管製バックボーンフレームはプロペラシャフトを収めるトルクチューブを兼ねている。フレームの先端に、空冷式水平対向2気筒OHVエンジンと変速機とをスタッドボルト多数で強固に結合、一体的な強度構造の一部とした。フロント固定軸の横置きリーフスプリングはエンジン下に直接固定、後輪は横置きリーフスプリングで吊られたスイングアクスル独立式であった。簡潔さの極致のような車であったが、それゆえ700kgそこそこと軽量で、ごく非力であるが最高速度は70km/h以上に達した。 空冷エンジンは騒音の面で不利であり、また冷却効率の点でも水冷エンジンに劣る。だが、寒冷なチェコスロバキアでは、水冷エンジンは冬期の冷却水凍結という弱点を抱えていた(ロングライフクーラントが出現する遙か以前の時代である)。空冷エンジンは凍結の心配がなく、しかも水冷式エンジンより単純かつ軽量に仕上がる。更に空冷エンジンの冷却上有利な水平対向式レイアウトは、エンジンをコンパクトにもした。レドヴィンカはそれらのメリットを考慮し、敢えて空冷エンジンを採用したのである。 「T11」と改良型の4輪ブレーキ仕様「T12」シリーズは悪路に強く、道路整備の遅れたチェコスロバキアの国情に合致したことで成功、特にトラック仕様「T13」は当時のヒット作となった。T11とその派生モデルは1924年-1933年までに約11,000台が生産された。一方チューンされてフロントサスペンションも独立式としたT11スペシャルは、欧州各地の小型車レースでも好成績を収め、1925年にはタルガ・フローリオの1100ccクラスで優勝した。
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