タトラT11とは? わかりやすく解説

タトラT11

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:44 UTC 版)

タトラ (自動車)」の記事における「タトラT11」の解説

経営者が再び自動車部門重視派に変わったのを機にハンス・レドヴィンカ招聘受けて復帰したのは1921年であった。彼は主任設計者(のち技術担当重役)となり、シュタイア社で果たせなかった小型車設計乗り出したブランドタトラ改称されてから最初新設モデルとなったT11」は、レドヴィンカが交通事故入院中に着想したもので、1924年完成した。1100cc・12HPの小型車であるが、シャーシ構造前例のないユニークなものであった鋼管バックボーンフレームプロペラシャフト収めるトルクチューブ兼ねているフレーム先端に、空冷式水平対向2気筒OHVエンジン変速機とをスタッドボルト多数強固に結合一体的強度構造一部とした。フロント固定軸の横置きリーフスプリングエンジン下に直接固定後輪横置きリーフスプリング吊られスイングアクスル独立であった簡潔さ極致のような車であったが、それゆえ700kgそこそこ軽量で、ごく非力であるが最高速度は70km/h以上に達した空冷エンジン騒音の面で不利であり、また冷却効率の点でも水冷エンジンに劣る。だが、寒冷なチェコスロバキアでは、水冷エンジン冬期冷却水凍結という弱点抱えていた(ロングライフクーラント出現する遙か以前時代である)。空冷エンジン凍結の心配がなく、しかも水冷式エンジンより単純かつ軽量に仕上がる。更に空冷エンジン冷却有利な水平対向レイアウトは、エンジンコンパクトにもした。レドヴィンカはそれらのメリット考慮し敢えて空冷エンジン採用したのである。 「T11」と改良型4輪ブレーキ仕様T12シリーズ悪路強く道路整備遅れたチェコスロバキア国情合致したことで成功、特にトラック仕様「T13」は当時ヒット作となったT11とその派生モデル1924年-1933年までに約11,000台が生産された。一方チューンされてフロントサスペンション独立式としたT11スペシャルは、欧州各地小型車レースでも好成績収め1925年にはタルガ・フローリオ1100ccクラス優勝した

※この「タトラT11」の解説は、「タトラ (自動車)」の解説の一部です。
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