タトラT2とは? わかりやすく解説

タトラT2

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 05:57 UTC 版)

タトラカー > タトラT2
タトラT2
T2R(T2への車体復元車)
チェコプルゼニ
基本情報
製造所 タトラ国営会社スミーホフ工場
製造年 1955年(試作車)
1957年 - 1962年(量産車)
製造数 合計 771両
T2 391両
T2SU 380両
運用終了 2018年11月17日
主要諸元
編成 1 - 2両編成
軌間 1,000 mm1,435 mm1,524 mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
最高速度 65.0 km/h
車両定員 T2 100人(着席25人)
T2SU 94人(着席38人)
車両重量 18.1 t
全長 15,200 mm
車体長 14,000 mm
全幅 2,500 mm
車体高 3,050 mm
動力伝達方式 直角カルダン駆動方式
主電動機出力 40 kw
出力 160 kw
制御方式 抵抗制御
制動装置 発電ブレーキドラムブレーキ電磁吸着ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5][6][7]に基づく。
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タトラT2は、かつてチェコスロバキア(現:チェコ)のプラハに存在したタトラ国営会社スミーホフ工場(→ČKDタトラ)が製造した路面電車車両タトラカー)。最初のタトラカーとして開発されたタトラT1の改良型として設計され、製造当初は「TII」と呼ばれていた[1][2][3][4][5][6]

概要

開発までの経緯

タトラ国営会社スミーホフ工場(→ČKDタトラ)がかつて展開したタトラカーと呼ばれる路面電車車両は、アメリカ合衆国で開発された高性能路面電車・PCCカーの技術をライセンス契約の元で取り入れた電車である。1951年に最初の車両となるタトラT1が製造され、チェコスロバキア(現:チェコスロバキア)を中心に東側諸国に導入された。タトラT2は、各地の路面電車事業者からの要望に基づき、このT1を改良した形式である[1][5][8][4]

構造

タトラT2はループ線が存在する路線での運用を前提とした片運転台のボギー車で、1両での運用(単行)に加えて総括制御による2両編成以上の連結運転も可能な構造となっていた。車体の寸法はT1(車体長13,300 mm、車体幅2,400 mm)から拡大し、長さは14,000 mm、幅は2,500 mmに変更された他、強度もT1から向上した。この車体の設計にあたっては乗客の流動性の向上を重点に置いており、右側に3箇所設置された乗降扉のうち運転台の傍にある前方の扉から搭乗し、車掌による検札を受けた後、中央・後方の扉から降りるという流れを前提に置いた構造となっていた。座席についても試作車についてはT1と同様のロングシートであったが、以降は1列 + 2列のクロスシートに変更された。前照灯は前方下部に1個設置されており、周囲には銀色の装飾が施されていた[2][5][1][4][9][10]

電気機器の構造については、PCCカーを基に設計されたT1の仕様が継続して採用されており、主電動機からの動力は自在継手かさ歯車を介して車軸に伝えられ(直角カルダン駆動方式)、制御装置は「加速器」とも呼ばれた多段式抵抗制御装置が用いられた。運転台からの速度制御は足踏みペダルを用いて行われた。台車については従来の標準軌(1,435 mm)に加えて狭軌(1,000 mm)や次項で述べるソビエト連邦圏内の広軌(1,524 mm)にも対応しており、より多くの路線で運用できる構造となった[1][4][7][11]

T2SU

1950年代のソビエト連邦では、国内各地の鉄道車両メーカーによって路面電車車両の製造が行われ、首都・モスクワモスクワ市電を始めとした各都市への配給が実施されていたが、その生産速度は遅く、第二次世界大戦前から継続して使用されていた旧型電車の置き換えや急増する需要を補うのに不十分であった。更にこれらの新造車両の多くは旧来の機構を有しており、より近代的な車両が望まれていた。そこで、経済相互援助会議(コメコン)体制のもとで、高性能車両であるタトラT2をソ連向けに改良したタトラT2SUの大量導入を実施する事が決定した[12][13]

極寒の環境下での使用を考慮し、運転台は客室と区切られ「運転室」となった他、車掌による業務が存在した関係上多くの車両については中央部の乗降扉が設置されておらず、その分座席数が増加した。一方で主電動機や制御装置を含めた電気機器についてはT2と同様のものが用いられた[5][12][3][14]

運用

最初の車両となる試作車(6001・6002)は1955年に製造され、チェコスロバキア(現:チェコ)の首都・プラハを走るプラハ市電に導入された。うち6002に採用されたクロスシートの内装が1958年以降製造が始まった量産車へと受け継がれ、廃止が検討されていたヤブロネツ・ナド・ニソウ市電[注釈 1]を除いたチェコスロバキア(→チェコスロバキア)の全路面電車路線へ向けて導入が実施された[注釈 2]。一方、それに先駆けて1957年から量産が始まったソビエト連邦向けのT2SUについてもその性能や品質、大量生産体制が高く評価され、最多の180両を導入したモスクワ市電を筆頭に6都市に向けて計380両が製造された[5][2][3][18]

だが、車体の強度を上げた事でT2の重量は17 - 18 tと増大し、軸重も増加したために軌道の状態が悪い地域への導入が難しいという問題を抱えていた。そのため、スミーホフ工場では車体や座席の設計を変更し、重量を2 t近く軽減した改良型であるタトラT3を開発し、1960年以降生産が始まった。それに伴い、T2の量産は1962年をもって終了した[2][5][4][19]

その後は各都市で長期に渡り活躍したものの、1980年代以降は老朽化および後継車両の導入によって廃車が進み、T2・T2SU共に大半の車両は1980年代までに営業運転を終了し、以降は後述する更新工事が実施された車両のみが使用される事となった。引退した車両の一部は各地の路面電車事業者や博物館で保存されており、その中には試作車1両(6002)も含まれる[5][20][21][14][22][16]

導入都市

タトラT2およびタトラT2SUの新造車両が導入された都市は以下の通りである。国名および都市名は導入当時のものを記す[5][2][3]

T2 導入都市一覧[5][2][3][23][14]
形式 導入国 都市 導入車両数
T2 チェコスロバキア
(現:チェコ)
オストラヴァ
(オストラヴァ市電)
100両
ブルノ
(ブルノ市電)
94両
モスト
リトヴィーノフチェコ語版
(モスト・リトヴィーノフ市電)
36両
プルゼニ
(プルゼニ市電)
26両
ウースチー・ナド・ラベム
(ウースチー・ナド・ラベム市電)
18両
リベレツ
(リベレツ市電)
14両
オロモウツ
(オロモウツ市電)
4両
プラハ
(プラハ市電)
2両
チェコスロバキア
(現:スロバキア)
ブラチスラヴァ
(ブラチスラヴァ市電)
66両
コシツェ
(コシツェ市電)
31両
T2SU ソビエト連邦
(現:ロシア連邦)
モスクワ
(モスクワ市電)
180両
スヴェルドロフスク
(スヴェルドロフスク市電)
65両
クイビシェフ
(クイビシェフ市電)
43両
ロストフ・ナ・ドヌ
(ロストフ・ナ・ドヌ市電)
40両
レニングラード
(レニングラード市電)
2両
ソビエト連邦
(現:ウクライナ)
キーウ
(キエフ市電)
50両

改造

1970年代以降、タトラT2の一部車両については、延命や近代化を理由とした更新工事が実施され、塗装や内装、車内照明、機器を中心とした修繕や、前照灯周辺の装飾の撤去が行われた。その中でも大規模な更新の事例として以下のものが存在する[2][20]

T2R

T2Rブルノ1992年撮影)

T2の延命および増備が進むT3との仕様統一を図るため、1970年代以降近代化工事を施した形式。前照灯の数がT3に合わせた2個に増設され、座席もラミネート加工を施したプラスチック製のものに変更した他、電気機器についてもT3と同型のものに交換した。改造対象となったのはブルノ市電の80両、オストラヴァ市電の13両で、前者は1976年 - 1983年、後者は1985年 - 1986年に改造された。両者とも原形のT2が全廃されて以降も使用されたが、後継車両への置き換えが進んだことでブルノ市電からは1998年に引退し、オストラヴァ市電でも1990年代までに営業運転を終了した[20][24]

このうち、オストラヴァ市電で運用されていた9両については、車両不足を補うため1995年から1996年にかけてリベレツ市電[注釈 3]へ譲渡され、そのうち8両が営業運転に使用された。これらの車両のうち、最後まで使用されたのは2両(18、19)[注釈 4]で、動態保存車両を除いた世界最後の現役のタトラT2でもあったが、2018年11月17日に実施されたさよなら運転をもって営業運転を終了した。その後、この2両はプラハ市電を運営するプラハ公共交通会社チェコ語版へと譲渡され、前照灯周りに装飾が存在する製造当時の姿(18)および前照灯が2個に増設されたT2Rに更新直後の姿(19)への車体復元が実施されている。また、車両番号の表記についてもオストラヴァ市電時代の旧番へ戻されているが、登録上の車両番号はそれぞれプラハ市電に導入された試作車(6001、6002)の続番である6003(←18)、6004(←19)となっている[21][25][26][27]

また、上記以外にもリベレツ市電に1両が保存されている他、同市電で2006年に廃車となった1両がプルゼニ市電に譲渡され、2009年のプルゼニ市の公共交通運行開始110周年記念事業の一環として車体を原型に復元した上で動態保存されている[23][28]

その他

チェコスロバキア(現:スロバキア)の都市・コシツェを走るコシツェ市電に導入されたT2の一部は1986年にT3と同様の前面形状に改造された他、電気機器についてもT3と同様の構造に改められた。事業用車(訓練車)1両を含めた5両が改造対象となったが、1990年までに廃車されている[6]

脚注

注釈

  1. ^ 1964年までにリベレツ市電からの直通路線を除き廃止された[15]
  2. ^ ただし試作車が導入されたプラハ市電に対しては、車両基地の容量不足や変電所の出力不足が要因となり量産車の導入は行われなかった[16][17]
  3. ^ リベレツ市電には他都市からの譲渡車も含めて計23両のT2が使用されていたが、1988年4月23日までに営業運転を終了した。
  4. ^ オストラヴァ市電時代の車両番号は613(→18)、694(→19)。

出典

  1. ^ a b c d e ČKD Tatra (1970). Zuverlässig Wirtschaftlich Shcnell und Sehr Geräuscharm (PDF) (Report). p. 2. 2015年6月7日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年2月24日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h T2”. Straßenbahnen der Bauart Tatra. 2010年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f T2SU”. Straßenbahnen der Bauart Tatra. 2010年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月24日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 服部重敬 2017, p. 105.
  5. ^ a b c d e f g h i j Ryszard Piech (2008年3月4日). “Tramwaje Tatry na przestrzeni dziejów (1)” (ポーランド語). InfoTram. 2020年2月24日閲覧。
  6. ^ a b c Libor Hinčica (2019年12月29日). “TRAMVAJE T2 V KOŠICÍCH”. Československý Dopravák. 2020年2月24日閲覧。
  7. ^ a b 大賀寿郎 2016, p. 56-58.
  8. ^ 服部重敬 2017, p. 104.
  9. ^ Jaroslav Vandas (1969). Učebnice řidiče tramvaje a trolejbusu. Motoristická knižnice, sv. 14. Nadas, t. ST 1. pp. 44 
  10. ^ manil (2017年4月28日). “Nový přírůstek do rodiny retro tramvají DPMB”. bmhd.cz. 2020年2月24日閲覧。
  11. ^ 大賀寿郎 2016, p. 70.
  12. ^ a b 服部重敬「定点撮影で振り返る路面電車からLRTへの道程 トラムいま・むかし 第10回 ロシア」『路面電車EX 2019 vol.14』、イカロス出版、2019年11月19日、97頁、 ISBN 978-4802207621 
  13. ^ М.Д. Иванов 1999, p. 180.
  14. ^ a b c Транспортный музей столицы Чехии пополнился новыми экспонатами” (ロシア語). Пассажирский транспорт (2019年6月17日). 2020年2月24日閲覧。
  15. ^ 服部重敬 2017, p. 101.
  16. ^ a b Robert Mara 2009, p. 39-41.
  17. ^ Jakub Heller (2017年3月30日). “Vozy T3 zachránily tramvaje v Praze, teď pojedou na nostalgické lince”. iDNES.cz. 2020年2月24日閲覧。
  18. ^ М.Д. Иванов 1999, p. 193.
  19. ^ 服部重敬 2017, p. 106.
  20. ^ a b c Libor Hinčica (2017年5月4日). “BRNĚNSKÝ DP DOKONČIL OPRAVU TRAMVAJE T2”. Československý Dopravák. 2020年2月24日閲覧。
  21. ^ a b Libor Hinčica (2018年10月5日). “TRAMVAJE T2R V LIBERCI KONČÍ”. Československý Dopravák. 2020年2月24日閲覧。
  22. ^ М.Д. Иванов 1999, p. 199.
  23. ^ a b “Rekonstrukce vozu T2 č. 133”. Dopravní Novinky (Plzeňských městských dopravních podniků, a.s.): 2. (2019-10). https://www.pmdp.cz/WD_FileDownload.ashx?wd_systemtypeid=34&wd_pk=WzE5OTEsWzQ0XV0%3D 2020年2月24日閲覧。. 
  24. ^ DP Ostrava: tramvaje T2R”. seznam-autobusu.cz. 2020年2月24日閲覧。
  25. ^ 服部重敬 2017, p. 107.
  26. ^ Libor Hinčica (2019年12月19日). “OPRAVENÉ TRAMVAJE T2R MÍŘÍ DO PRAHY”. Československý Dopravák. 2020年2月24日閲覧。
  27. ^ Libor Hinčica (2019年2月25日). “PRÁCE NA VOZECH T2R V OSTRAVĚ JSOU V PLNÉM PROUDU”. Československý Dopravák. 2020年2月24日閲覧。
  28. ^ Vůz Boveraclub #17III (Tatra T2R)”. seznam-autobusu.cz. 2020年2月24日閲覧。

参考資料

  • 大賀寿郎『路面電車発達史 ―世界を制覇したPCCカーとタトラカー』戎光祥出版〈戎光祥レイルウェイ・リブレット 1〉、2016年3月1日。 ISBN 978-4-86403-196-7 
  • 服部重敬「トラムいま・むかし 第6回 タトラカーが今も主役 チェコ・リベレツ」『路面電車EX 2017 vol.10』、イカロス出版、2017年10月20日、100-109頁、 ISBN 978-4802204231 



タトラT2

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 05:52 UTC 版)

コシツェ市電」の記事における「タトラT2」の解説

タトラT1改良した2世代目タトラカーコシツェ市電には1958年から1962年にかけて31両(212 - 242)が導入された。同時期に改良実施され修理工場による保守が行われ、長期間渡って活躍したが、T3の導入に伴い1983年から1984年にかけて大部分車両廃車された。残存した4両についてはT3と同型先頭形状への変更含んだ更新工事実施しその後使用されたが、1990年までに全車営業運転から撤退したその後保存車両として1両(234)が残存したものの2004年解体されており、コシツェ市電新規に導入したT2は現存しないが、2001年オストラヴァ市電から譲渡された1両(6191960年製)が動態保存されている。 「タトラT2」も参照

※この「タトラT2」の解説は、「コシツェ市電」の解説の一部です。
「タトラT2」を含む「コシツェ市電」の記事については、「コシツェ市電」の概要を参照ください。

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