律令体系の完成(唐代前半)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 10:30 UTC 版)
「中国法制史」の記事における「律令体系の完成(唐代前半)」の解説
律令法体系とは、「律」「令」「格」「式」の4種類の法典から構成される法典の体系である。基本法令としての律(「○○をせよ」「○○をするな」という規範と、それに違反した者への罰則を規定した刑罰基本法令)と令(管制、税制、兵制、婚姻・戸籍制度など行政組織と執務規則を中心とする基本的な規範を中心とする基本的な規範を規定した非刑罰基本法令)を「律令」と連称し、副次法典としての格と式を加えて「律令格式」と連称する。 隋によって着手された北朝的な中央集権国家にふさわしい法体系の確立は、唐に引き継がれた。唐は建国から7年間は、『五十三条格』という臨時法と隋の『開皇律』を併用して統治にあたった。この間に南北の法を調整しつつ、分権的な南朝の旧領域へと支配を浸透させて行き、中国全土への支配が確立し、安定した政治情勢が形成された高祖の624年(武徳7年)に法典編纂に踏み切った。武徳の法典編纂のときには格は作られず、律令格式がそろうのは、第2代皇帝太宗の637年(貞観11年)に編纂された『貞観律令格式』からである。高宗の永徽年間(650年 - 655年)から玄宗の開元年間(713年 - 741年)にかけて行われた盛んな法典編纂により、律令体制は完成した。 なお、律の文意を逐条的に明らかにする公的注釈書として作成された「律疏」も律と同等の効力をもった。律令本文は早くに散逸したが、律については李林甫らによる後世の注釈書『唐律疏議』が第一級の法制資料として残る。唐代は中華法系を爛熟させた王朝としてその功績を歴史に残す。その時代に完成された『唐律疏議』は正に中華法系の集大成法典である。現存している「唐律疏議」は法律と注釈合わせて全30巻、12編502箇条からなる。 第1編「名例」は、法定罪名、刑名および量刑の適用原則を定め、唐代の立法指導思想や法制原則を定める。 第2編「衛禁」は、皇帝、宮殿、太廟、陵墓および関津、軍隊の駐屯、国境防衛、要塞の守衛について定める。 第3編「職制」は、国家機関の設置と定員、国家官吏の選抜・任用・賞罰に関する行政的規定である。 第4編「戸婚」は、戸籍、土地、賦役、婚姻、家庭、相続に関する民事法律規定である。 第5編「厩庫」は、家畜の飼養・管理や倉庫管理および官有物管理を定める。 第6編「擅興」は、徴兵、軍事指揮、武器管理、戦闘規律および官有物所有に関わる規定である。 第7編「賊盗」は、謀反、反乱、殺人、強盗、誘拐、官私財産の不法占有等社会的犯罪を取り締まる規定である。 第8編「鬥訟」 第9編「詐偽」は、詐欺、偽造、偽証等の犯罪行為の懲罰を定める。 第10編「雑律」は、前記各編に収められない犯罪を規定し、内容は交通、計量、造幣、市場管理、医療衛生、公共施設、環境保護、倫理関係等を定める。 第11編「捕亡」は、主に捜査、逮捕等の手続きに関する規定である。 第12編「断獄」は、審判、判決、刑罰の執行、監獄管理に関して定める。 この法典は、法体系の構成、条文の簡潔さ、概念の明晰さ、用語使用の適切さ、論理の綿密さ、注釈の理論的工夫等のあらゆる点で中華法系の空前絶後の高みに達したと言われる。また、この法典は中華法系の歴史に終止符がうたれた1911年まで歴代の法制に深甚な影響を与えた。
※この「律令体系の完成(唐代前半)」の解説は、「中国法制史」の解説の一部です。
「律令体系の完成(唐代前半)」を含む「中国法制史」の記事については、「中国法制史」の概要を参照ください。
- 律令体系の完成のページへのリンク