律令体制への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 14:01 UTC 版)
当時の根本法令であった律令においては原則として国の土地は全て国有地であり、公の土地を民衆へ耕作割り当てを行い(口分田)、その収穫から徴税する(租)、と規定されていた。このことから、墾田永年私財法の施行は公の土地という大前提を覆すものであると捉えられ、律令体制崩壊の兆候として一般には考えられている。 しかし、現存する養老律令田令第29条において「私田」に関する記述があるように、律令体制は必ずしも「公の土地」にのみ立脚していた訳ではない。律令の条文を丹念に読んでみると、活用可能な耕地は最大限に活用するという趣旨を汲み取ることも可能であり、その観点からであれば、墾田永年私財法は律令を否定するものというより、律令の法目的を補強するものだったとの見方もある。 ただし、原文には「由是農夫怠倦、開地復荒(これにより農民が怠け、開墾した土地が再び荒れる)」とあるが、三世一身法の施行からまだ20年しか経っておらず、3代を経過して農民の意欲が減退するという事態が本当に生じたかは疑問が残る所である。これを根拠として、むしろ農民というより富豪や大寺院の利益誘導ではなかったかという見方もある。 墾田永年私財法では開墾予定地の占定手続きや三年間という開発期限を明確にすることで、開墾田を国家が掌握し規制する体制が確立された。開墾された田(墾田)は輸租田とされ国家への納税義務があった。開墾田の私有を認めることにより開墾意欲を促しつつ、それを輸租田として国家の税収を確保する。開墾田を国税の中に取り込んでいくシステムの確立が図られたのである。 墾田永年私財法によって、資本を持つ中央貴族や大寺社が、諸国の国司を通じて地方諸国に開発予定地を設定して開墾して私有地とする動きが出始めた。これが貴族や大寺院による私領化(荘園化)へとつながっていくこととなる。
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