大阪:日本初のフィルム・コミッション設立とその経緯とは? わかりやすく解説

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大阪:日本初のフィルム・コミッション設立(2000年)とその経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 02:13 UTC 版)

フィルム・コミッション」の記事における「大阪日本初フィルム・コミッション設立2000年)とその経緯」の解説

2000年2月日本初フィルム・コミッションである「大阪ロケーション・サービス協議会」(現在の大阪フィルム・カウンシル)が官民協力の下、大阪立ち上げられた。 大阪の地で日本初フィルム・コミッション設立され理由は、1988年大阪ロケ実施したハリウッド映画ブラック・レイン』(1989年)の苦い経験教訓としていたことが、2016年3月産経新聞の報道により明らかになっている。 以下、産経新聞の報道内容ならびに同作監督務めたリドリー・スコット発言から、当時発生した問題概要と、フィルム・コミッション設立に至る経緯を記す。 松田優作遺作となったことでも有名なブラック・レイン』は、日本大阪本格的なロケを行った作品である。映画制作サイドはこの作品制作に当たり、当時岸 昌(きし・さかえ)大阪府知事から「(映画撮影に)できる限り協力する」との“お墨付き”をもらっていた。しかし、当時日本にはフィルム・コミッション存在しなかったため、映画制作サイド撮影対象者や施設所有者個別撮影関連交渉を行わざるを得ず撮影時様々な問題発生した各種資料から公式に判明している範囲でも、下記問題発生したことが明らかになっている。 大阪府庁舎内でのトラブル大阪府庁舎映画の撮影開始したところ、映画制作側が雇った警備員庁舎内の撮影現場付近通行制限したことに対して大阪府職員クレーム入れてきた。また、映画スタッフ撮影効果スモーク)を目的として植物油気化させたところ、庁舎内に白煙充満して大阪府側から厳重な抗議受けた。そのため、映画制作側としては「府知事から協力申し出があったのに、当の大阪府側からなぜこのような抗議を受けなければならないのか」という不満を抱くことになった道路使用許可トラブル大阪繁華街ロケ大阪府警からクレームがついたため、映画制作側は脚本大幅な書き換え余儀なくされ、日本ではカーチェイスなどの撮影許可降りなかった。この作品クライマックスシーンとなる日本ヤクザ佐藤松田優作)と、アメリカ刑事ニックマイケル・ダグラス)のバイクによる逃走追跡シーンは、アメリカ・ナパバレーのぶどう畑で撮影された。 大阪市中央卸売市場でのトラブルブラック・レインDVD・ブルーレイ収録されているリドリー・スコットオーディオ・コメンタリーによると、ロケ使用した大阪市中央卸売市場では、市場側との2ヶ月間にわたる交渉の末、当初2日間の撮影期間確約されていた。しかし、その後市場側から一方的な通告撮影期間1日間に短縮され挙句に、撮影延長をする場合1日あたり25ドル1988年当時レートで約3250万円)という法外な保証金支払うように市場側から要求された。そのためやむを得ず理なスケジュール組み、わずか1日大阪市中央卸売市場魚市場)の全シーン撮影終えざるを得なかった。 このような日本ロケトラブル続いた結果親日家であるリドリー・スコット最終的に二度とこの地(日本)では映画撮らない」と激怒するところまで追い込まれてしまった。ハリウッドで「日本規制多く映画ロケまともにできない環境の国である」という悪評広まった結果その後28年間の長きにわたり海外大作映画(特にハリウッド映画)の大阪ロケは全く実施されなかった。 大阪では『ブラック・レイン』のロケ協力が不十分であったことを反省するとともに大阪における映像制作撮影依頼多かったことから、それを活かす方策考えるため、1998年頃に研究会立ち上げた2000年2月映画撮影による経済効果集客力強化目的として、大阪府・大阪市大阪商工会議所など地元行政・経済界の協力により、「大阪フィルム・カウンシル」の前身となる「大阪ロケーション・サービス協議会」を、日本初フィルム・コミッションとして発足させた。2015年以降は、公益財団法人大阪観光局組織一部となっている。 「大阪ロケーション・サービス協議会」を立ち上げた当初大阪商工会議所専務理事大阪ロケーション・サービス協議会会長併任していた大野隆夫2001年日本商工会議所インタビューに対して「我々FCとしては、ロケ地の提供を通じて地域活性化図り直接的な経済効果や、関連産業振興海外での知名度上げることを第一義活動してます。それに加えてもう一度映像、特に劇場公開用の映画見直し日本の今ある姿を過不足なく国の内外伝えて行く有力な手段として,映像制作活動みんなで支援しその結果クオリティーの高い文化性のある作品生まれていくことに少しでも役立てればと思います」と答えている。 大阪フィルム・カウンシルでは映像作品誘致と、映画制作サイドへの協力行っている。その内容撮影ロケ対象施設紹介施設管理者との間の借用交渉代行ホテル駐車場機材調達先などの紹介ボランティアエキストラ募集などである。 当初大阪企業自治体撮影交渉窓口となる専門部署がなかったため、大阪フィルム・カウンシル側の低姿勢依頼で何とか撮影協力得られるような状況だったが、徐々に映像作品による広告効果認識されるようになり、現在では協力作品数年間150程度推移している。 産経新聞記事によると、大阪フィルム・カウンシル協力した作品の中で、難易度が高い課題クリアした作品これまで2つ存在する1つ目は『交渉人 THE MOVIE タイムリミット高度10,000mの頭脳戦』(2010年)。この作品では、臨海部堺泉北港位置する泉大津大橋大阪府泉大津市)を封鎖してアクションシーン撮影する必要があった。そのため、関連する運送業など約50社の同意取り付け配送時間などを調整してアクションシーン撮影することができた。 2つ目は『プリンセストヨトミ』(2011年)。この作品では、大阪府庁の上町筋うえまちすじ)を封鎖して撮影を行う必要があった。大阪フィルム・カウンシルでは、封鎖のための関係機関との交渉実施したり、2千人上のエキストラによる群衆シーン準備協力して大阪市内での撮影が無事終了した大阪フィルム・カウンシルでは、このような難易度の高い経験を積むことで、ノウハウ蓄積し新たな課題次に生かせようになった説明している。 このような大阪フィルム・カウンシル地道な努力海外でも認められ2016年には福山雅治主演するジョン・ウー監督中国映画『マンハント』大阪ロケ誘致成功した2021年にはハリウッド映画の『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』の撮影が行われた。『ブラック・レイン』と同じくパラマウントによる配給であり、難色示す上層部プロデューサー説得し日本ロケ敢行完成作を見た上層部満足したという。

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