大阪:日本初のフィルム・コミッション設立(2000年)とその経緯
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「フィルム・コミッション」の記事における「大阪:日本初のフィルム・コミッション設立(2000年)とその経緯」の解説
2000年2月、日本初のフィルム・コミッションである「大阪ロケーション・サービス協議会」(現在の大阪フィルム・カウンシル)が官民協力の下、大阪で立ち上げられた。 大阪の地で日本初のフィルム・コミッションが設立された理由は、1988年に大阪ロケを実施したハリウッド映画『ブラック・レイン』(1989年)の苦い経験を教訓としていたことが、2016年3月の産経新聞の報道により明らかになっている。 以下、産経新聞の報道内容ならびに同作の監督を務めたリドリー・スコットの発言から、当時発生した問題の概要と、フィルム・コミッション設立に至る経緯を記す。 松田優作の遺作となったことでも有名な『ブラック・レイン』は、日本の大阪で本格的なロケを行った作品である。映画制作サイドはこの作品の制作に当たり、当時の岸 昌(きし・さかえ)大阪府知事から「(映画撮影に)できる限り協力する」との“お墨付き”をもらっていた。しかし、当時の日本にはフィルム・コミッションが存在しなかったため、映画制作サイドが撮影対象者や施設所有者と個別に撮影関連の交渉を行わざるを得ず、撮影時に様々な問題が発生した。各種資料から公式に判明している範囲でも、下記の問題が発生したことが明らかになっている。 大阪府庁舎内でのトラブル大阪府庁舎で映画の撮影を開始したところ、映画制作側が雇った警備員が庁舎内の撮影現場付近の通行を制限したことに対して、大阪府の職員がクレームを入れてきた。また、映画のスタッフが撮影効果(スモーク)を目的として植物油を気化させたところ、庁舎内に白煙が充満して、大阪府側から厳重な抗議を受けた。そのため、映画制作側としては「府知事から協力の申し出があったのに、当の大阪府側からなぜこのような抗議を受けなければならないのか」という不満を抱くことになった。 道路使用許可のトラブル大阪の繁華街ロケに大阪府警からクレームがついたため、映画制作側は脚本の大幅な書き換えを余儀なくされ、日本ではカーチェイスなどの撮影許可も降りなかった。この作品のクライマックスシーンとなる日本のヤクザ・佐藤(松田優作)と、アメリカの刑事・ニック(マイケル・ダグラス)のバイクによる逃走・追跡のシーンは、アメリカ・ナパバレーのぶどう畑で撮影された。 大阪市中央卸売市場でのトラブル『ブラック・レイン』DVD・ブルーレイに収録されているリドリー・スコットのオーディオ・コメンタリーによると、ロケに使用した大阪市中央卸売市場では、市場側との2ヶ月間にわたる交渉の末、当初は2日間の撮影期間が確約されていた。しかし、その後市場側からの一方的な通告で撮影期間を1日間に短縮された挙句に、撮影延長をする場合は1日あたり25万ドル(1988年当時のレートで約3250万円)という法外な保証金を支払うように市場側から要求された。そのためやむを得ず無理なスケジュールを組み、わずか1日で大阪市中央卸売市場(魚市場)の全シーンの撮影を終えざるを得なかった。 このような日本ロケのトラブルが続いた結果、親日家であるリドリー・スコットが最終的に「二度とこの地(日本)では映画を撮らない」と激怒するところまで追い込まれてしまった。ハリウッドで「日本は規制が多く、映画ロケがまともにできない環境の国である」という悪評が広まった結果、その後28年間の長きにわたり、海外の大作映画(特にハリウッド映画)の大阪ロケは全く実施されなかった。 大阪では『ブラック・レイン』のロケ協力が不十分であったことを反省するとともに、大阪における映像制作の撮影依頼が多かったことから、それを活かす方策を考えるため、1998年頃に研究会を立ち上げた。2000年2月、映画撮影による経済効果や集客力強化を目的として、大阪府・大阪市・大阪商工会議所など地元の行政・経済界の協力により、「大阪フィルム・カウンシル」の前身となる「大阪ロケーション・サービス協議会」を、日本初のフィルム・コミッションとして発足させた。2015年以降は、公益財団法人大阪観光局の組織の一部となっている。 「大阪ロケーション・サービス協議会」を立ち上げた当初、大阪商工会議所専務理事と大阪ロケーション・サービス協議会会長を併任していた大野隆夫は2001年、日本商工会議所のインタビューに対して「我々FCとしては、ロケ地の提供を通じて地域の活性化を図り、直接的な経済効果や、関連産業の振興、海外での知名度を上げることを第一義に活動しています。それに加えて、もう一度映像、特に劇場公開用の映画を見直し、日本の今ある姿を過不足なく国の内外に伝えて行く有力な手段として,映像制作活動をみんなで支援し、その結果、クオリティーの高い文化性のある作品が生まれていくことに少しでも役立てればと思います」と答えている。 大阪フィルム・カウンシルでは映像作品の誘致と、映画制作サイドへの協力を行っている。その内容は撮影ロケ対象施設の紹介、施設管理者との間の借用交渉の代行、ホテル・駐車場・機材調達先などの紹介、ボランティアのエキストラ募集などである。 当初は大阪の企業や自治体に撮影交渉の窓口となる専門部署がなかったため、大阪フィルム・カウンシル側の低姿勢な依頼で何とか撮影協力が得られるような状況だったが、徐々に映像作品による広告効果が認識されるようになり、現在では協力作品数が年間150件程度で推移している。 産経新聞の記事によると、大阪フィルム・カウンシルが協力した作品の中で、難易度が高い課題をクリアした作品がこれまでに2つ存在する。 1つ目は『交渉人 THE MOVIE タイムリミット高度10,000mの頭脳戦』(2010年)。この作品では、臨海部の堺泉北港に位置する泉大津大橋(大阪府泉大津市)を封鎖してアクションシーンを撮影する必要があった。そのため、関連する運送業など約50社の同意を取り付け、配送時間などを調整してアクションシーンを撮影することができた。 2つ目は『プリンセストヨトミ』(2011年)。この作品では、大阪府庁前の上町筋(うえまちすじ)を封鎖して撮影を行う必要があった。大阪フィルム・カウンシルでは、封鎖のための関係機関との交渉を実施したり、2千人以上のエキストラによる群衆シーンの準備に協力して、大阪市内での撮影が無事終了した。 大阪フィルム・カウンシルでは、このような難易度の高い経験を積むことで、ノウハウを蓄積し、新たな課題も次に生かせるようになったと説明している。 このような大阪フィルム・カウンシルの地道な努力が海外でも認められ、2016年には福山雅治が主演するジョン・ウー監督の中国映画『マンハント』の大阪ロケ誘致に成功した。 2021年にはハリウッド映画の『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』の撮影が行われた。『ブラック・レイン』と同じくパラマウントによる配給であり、難色示す上層部をプロデューサーが説得し日本ロケを敢行、完成作を見た上層部も満足したという。
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