大・中型バス(シャーシメーカー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 18:48 UTC 版)
「日本のバス車両」の記事における「大・中型バス(シャーシメーカー)」の解説
現在、大・中型バス車両を供給する日本メーカーは以下の3社である。 いすゞ自動車 日野自動車(トヨタ自動車の子会社) 三菱ふそうトラック・バス(三菱自動車工業から分社) 1960年代のバス事業最盛期まではトヨタ自動車・日産自動車といった現在の乗用車最大手クラスの企業も大型バス製造に携わっていたが、1974年にトヨタ自動車が撤退して以降、国内の大・中型バス車台・エンジン製造は、いすゞ自動車、日野自動車、三菱ふそうトラック・バス、日産ディーゼル(現: UDトラックス)の4社に事業集約されていた。 しかし、日産ディーゼル(現: UDトラックス)は2010年8月を以ってシャーシ生産から撤退し、以降は三菱ふそうからのOEM供給のみとなった。さらに、2010年10月に三菱ふそうとUDトラックスとのバス事業統合に関する協議が終了したのに伴い、三菱ふそうからのOEM供給も取りやめることになったため、UDトラックスはバス事業から事実上撤退し、現在は3社体制となっている。 また、いすゞ自動車と日野自動車は2003年10月1日付で「ジェイ・バス」を設立した。バス事業統合に向けた動きを加速させ、ジェイ・バスが「統合車種」として、路線系はいすゞ自動車が、観光系は日野自動車が各々開発した車両をジェイ・バスが製造し、いすゞ自動車・日野自動車両社が販売している。
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大・中型バス(コーチビルダー)
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「日本のバス車両」の記事における「大・中型バス(コーチビルダー)」の解説
コーチビルダーとは車体架装メーカーのこと。戦前のバス車体は木骨を構造材とした重く頑丈なものであり、架装にさほど技術を要求されなかったことから、町工場レベルでも参入が容易で、各自動車メーカーよりトラック用シャシを購入した上で、各事業者に改造して納入していた。自動車メーカー側としても小規模事業者が乱立していた当時のバス事業者相手に小口取引を迫られることとなるのを回避できるメリットがあった。 戦後、航空機産業の壊滅により、富士重工業(旧: 中島飛行機、現: SUBARU)や川崎航空機(数度の改名を経て、1974年〈昭和49年〉以降は川重車体工業)などが軍需の民生転換としてバスボディ製造を開始する。これらのメーカーはそれまでの航空機製造技術を活かし、外板を強度部材と考えるモノコックボディを武器に、軽量な車体とアメリカナイズされたスタイルでシェアを伸ばす。 1960年代まではヤナセ、帝国自動車工業など戦前来のコーチビルダーと、日國工業→新日国工業(路面電車や大型バスの架装から撤退、業態変更で日産車体工機へと改称。)などの戦後の航空機産業転換企業、および、東浦自動車工業、松本車体、京成車体といった特定地域向けローカルコーチビルダーが入り乱れる状況が続く。 しかし、フレーム式構造から軽量でホイールベースの変更が容易なフレームレス構造へと移行し、床面積が有効に使えるRR方式のバス専用シャシが開発され、それが主流となると町工場レベルでは対応が不可能となる。 さらに、シャシメーカーとの提携関係が進むにつれ、中小メーカーの撤退が相次ぎ、1975年(昭和50年)の帝国自動車工業と金産自動車工業の合併による日野車体工業の成立で、以下の6社(自社架装の三菱を入れると7社、特殊車体関係は除く)に集約された。以後約10年間は無風状態となる。 日野車体工業 - 日野自動車工業指定、国鉄専用型式(日野車)指定メーカー。専用型式以外の国鉄バス、富士急行ではいすゞシャシにも架装。 川重車体工業 - いすゞ自動車指定メーカー。1972年(昭和47年)まで大型専業4社とトヨタに架装していた。 呉羽自動車工業 - 三菱ふそう指定メーカー。但し、三菱自身も架装する。 富士重工業 - 民生・日産ディーゼル指定、国鉄専用型式指定(ふそう・日デ車)、いすゞ自動車準指定メーカー。最盛期は国内バスボディのリーディンクカンパニーとして、大型専業4社のほか、ニッサン(1968年〈昭和43年〉まで)とトヨタ(1974年〈昭和49年〉まで)を加えた国内全大型メーカーに架装、また、1985年(昭和60年)から2001年(平成13年)まで日本国内向けボルボ・B10Mシャシにも架装していた。 西日本車体工業 - 大型4社に架装。 北村製作所 - いすゞ自動車準指定メーカー。事業者によっては日デ車、三菱ふそう車の架装例もある。 1970年(昭和45年)頃まではコーチビルダー各社は独立性が高く、帝国 - いすゞ(主に国鉄向け)、川崎 - 日野・三菱・トヨタ、金産 - 三菱・日産ディーゼル、北村 - 三菱・日産ディーゼルといった組み合わせも見られた。この時期、コーチビルダーとシャシメーカーとの関係強化により、富士重工業と西日本車体工業を除き、ごく一部の例外を除き、特定メーカーのシャシにのみ架装するようになり、その流れが1985年(昭和60年)以降の、シャシメーカー主導の再編を呼ぶことになる。 いすゞは川重車体に資本参加し、合弁会社であるアイ・ケイ・コーチ(IK:I = いすゞ、K = 川崎)を設立、1995年(平成7年)にはいすゞバス製造に改名し、翌年いすゞが完全子会社化している。 北村は1984年(昭和59年)以降、大幅に事業規模を縮小し、1989年(平成元年)以降は小型車 (P-MR112D,U-MR132D) のみに架装を続けたが、撤退した。 三菱自動車は指定メーカーの呉羽自工(東洋紡績系)に資本参入し、同社は新呉羽車体工業に改名、さらに1993年(平成5年)には完全子会社化し、三菱自動車バス製造(MBM)に改名した。その上で、1996年(平成8年)に三菱自動車自身による車体製造を中止した。 日産ディーゼルは2002年(平成14年)に、コストカットの観点から指定メーカーを西日本車体工業に一本化すると発表した。これにより富士重工業は大幅な受注減が見込まれたことから、同年度いっぱいでバス車体製造から撤退した。 さらに、いすゞと日野のバス事業が統合され、いすゞ車体と日野車体は合併し、ジェイ・バスが誕生した。 UDトラックス(旧: 日産ディーゼル)指定メーカー・三菱ふそう準指定メーカーである西日本車体工業は、当時のバスボディ受注の減少から2010年(平成22年)8月にバスボディ架装を終了し、同年10月に会社を解散した。 この結果、現在は以下の2社に集約されている。 ジェイ・バス - 日野自動車・いすゞ自動車指定メーカー 三菱ふそうバス製造 - 三菱ふそうトラック・バス指定メーカー
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