地震の被害とは? わかりやすく解説

地震の被害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 22:31 UTC 版)

ハイチ地震 (2010年)」の記事における「地震の被害」の解説

ポルトープランスでは大統領府国会議事堂始めとする多く建物倒壊し天井・床が重なって潰れるパンケーキクラッシュ起こしている。このため地震直後大統領閣僚すら屋内に寝る場所がなく、ホームレス態となった。 2月3日ジャン=マックス・ベルリーヴ首相は、政府集計死者20万人超えた事を議会上院報告ルネ・ガルシア・プレヴァル大統領は同10日17万人埋葬した発表、同9日10日にはラセグ文化情報相が死者それぞれ23万人21万人発表、ビアンエメ内相217000余り死亡確認したとしているなど、政府内の死者数情報混乱している。同3月17日開かれた復興支援会合では、死者222570人、負傷者31928人、行方不明者869人、被害総額775000ドル余りだ発表された。 2011年1月12日、ベルリーブ首相記者会見死者316千人以上に達した発表したが、震災後行われた集団埋葬のために正確な数の把握難しいものとなっている。 死者行方不明者が多い地震世界順位震央発生日 (UTC)死者行方不明者(人)規模 (M)1 中国, 華県 1556年1月23日830,000 8.0 2 ハイチポルトープランス 2010年1月12日320,000 7.0 3 アンティオキア 115年12月13日 約 ≧ 260,000 7.5 4 アンティオキア 526年5月29日 約 ≧ 250,000 7.0 5 中国, 唐山 1976年7月28日 約 ≧ 240,000 7.8 6 中国, 海原 1920年12月16日200,000 - 240,000 8.6 7 インド洋大津波 2004年12月26日230,000 9.1 アゼルバイジャン, ギャンジャ 1139年9月30日230,000 - 9 中国, 洪洞 1303年9月25日 約 ≧ 200,000 7.6 10 イラン, ダームガーン 856年12月22日200,000 7.9 11 イラン, アルダビール 893年3月23日150,000 - 12 シリア, アレッポ英語版533年11月29日130,000 - シリア, アレッポ 1138年10月11日130,000 7.1 14 イタリア, メッシーナ 1908年12月28日 82,000 - 120,000 7.1 15 トルクメニスタン, アシガバード 1948年10月6日 約 110,000 7.3 16 日本,関東 1923年9月1日 105,385 7.9 17 中国, 直隷 1290年9月27日100,000 6.8 また、水道電力供給網等のライフラインにも壊滅的な被害及んでおり、ポルトープランス3/4再建必要がある見られている。今回地震に伴いハイチ政府選管当局は、2月3月予定していた議会選挙無期限延期決めている。 朝日新聞時事通信によると、隣国である在ドミニカ共和国日本大使館四宮信隆大使の話として「ハイチ日本大使館入っている建物の壁にひびが入り家具倒れるなどの被害出たが、館内にいた職員5人とその家族避難して無事であった」「戸別訪問通じて国内在住日本人10人の安否確認急ぎたい」と報じた国際赤十字赤新月社連盟は、「被災者は、総人口の約1/3にあたる300万人被災した」と推計しており、各国救援チーム現地入りし、倒壊した建物取り残され人々たちの救出活動加わっている。 プレヴァル大統領は、日本時間1月14日同国内の平和維持活動従事していた国連ハイチ安定化派遣団MINUSTAH)のエディ・アナビ(Hédi Annabi)代表がこの地震死亡したことを確認したとしていた。国連側は否定していたが、日本時間17日に同代表とルイス・カルロス・ダ・コスタ (Luiz Carlos da Costa) 副代表、ダグ・コーツ (Doug Coates) 警察本部長代理死亡したことを発表した現地赴いた潘基文国連事務総長も同代表の遺体確認し発見した中華人民共和国国際救援隊謝意述べた。また人道支援活動のためにポルトープランス滞在していたブラジル出身小児科医人道支援活動家のジウダ・アルンス地元出身のヒップホップアーティストであるジミー・O(Jimmy O)、カトリック教会ジョセフ・セルジュ・ミオ大司教が、この地震によってポルトープランス死亡した。また刑務所崩壊し受刑者4000人が脱獄している。 ポルトープランスでは略奪行為発生しており、ハイチ政府1月17日1月末まで非常事態宣言発し午後6時以降夜間外出禁止令出していた。同21日には窃盗疑い20歳男性警官によって射殺されるなど、混乱状態が続いていた。

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地震の被害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/17 21:48 UTC 版)

ミティラー美術館」の記事における「地震の被害」の解説

新潟県中越地震により展示されていた美術品のうち陶器製のものはほとんどが全壊絵画一部落下したり、角に当ったりしてかなりの損害生じたまた、建物自体も、以前館員宿直できるほど館内整備されていたが、地震後は困難となった交通路は、美術館へ行く道が寸断されたどり着くことさえ困難であったが、現在は車で問題なく通行できる

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