地震の被害
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「ハイチ地震 (2010年)」の記事における「地震の被害」の解説
ポルトープランスでは大統領府や国会議事堂を始めとする多くの建物が倒壊し、天井・床が重なって潰れるパンケーキクラッシュを起こしている。このため、地震直後は大統領や閣僚すら屋内に寝る場所がなく、ホームレス状態となった。 2月3日、ジャン=マックス・ベルリーヴ首相は、政府の集計で死者が20万人を超えた事を議会上院に報告、ルネ・ガルシア・プレヴァル大統領は同10日に17万人を埋葬したと発表、同9日と10日にはラセグ文化・情報相が死者はそれぞれ23万人・21万人と発表、ビアンエメ内相は21万7000人余りの死亡を確認したとしているなど、政府内の死者数の情報は混乱している。同3月17日に開かれた復興支援会合では、死者22万2570人、負傷者31万928人、行方不明者869人、被害総額は77億5000万ドル余りだと発表された。 2011年1月12日、ベルリーブ首相は記者会見で死者が31万6千人以上に達したと発表したが、震災後に行われた集団埋葬のために正確な数の把握は難しいものとなっている。 死者・行方不明者が多い地震(世界)順位震央発生日 (UTC)死者・行方不明者数 (人)規模 (M)1 中国, 華県 1556年1月23日 約 830,000 8.0 2 ハイチ,ポルトープランス 2010年1月12日 約 320,000 7.0 3 アンティオキア 115年12月13日 約 ≧ 260,000 7.5 4 アンティオキア 526年5月29日 約 ≧ 250,000 7.0 5 中国, 唐山 1976年7月28日 約 ≧ 240,000 7.8 6 中国, 海原 1920年12月16日 約 200,000 - 240,000 8.6 7 インド洋大津波 2004年12月26日 約 230,000 9.1 アゼルバイジャン, ギャンジャ 1139年9月30日 約 230,000 - 9 中国, 洪洞 1303年9月25日 約 ≧ 200,000 7.6 10 イラン, ダームガーン 856年12月22日 約 200,000 7.9 11 イラン, アルダビール 893年3月23日 約 150,000 - 12 シリア, アレッポ(英語版) 533年11月29日 約 130,000 - シリア, アレッポ 1138年10月11日 約 130,000 7.1 14 イタリア, メッシーナ 1908年12月28日 82,000 - 120,000 7.1 15 トルクメニスタン, アシガバード 1948年10月6日 約 110,000 7.3 16 日本,関東 1923年9月1日 105,385 7.9 17 中国, 直隷 1290年9月27日 約 100,000 6.8 また、水道や電力供給網等のライフラインにも壊滅的な被害が及んでおり、ポルトープランスの3/4が再建の必要があると見られている。今回の地震に伴い、ハイチ政府の選管当局は、2月と3月に予定していた議会選挙の無期限延期を決めている。 朝日新聞や時事通信によると、隣国である在ドミニカ共和国日本大使館の四宮信隆大使の話として「ハイチの日本大使館が入っている建物の壁にひびが入り、家具が倒れるなどの被害が出たが、館内にいた職員5人とその家族は避難して無事であった」「戸別訪問を通じて、国内在住の日本人10人の安否の確認を急ぎたい」と報じた。 国際赤十字赤新月社連盟は、「被災者は、総人口の約1/3にあたる300万人が被災した」と推計しており、各国の救援チームが現地入りし、倒壊した建物に取り残された人々たちの救出活動に加わっている。 プレヴァル大統領は、日本時間1月14日、同国内の平和維持活動に従事していた国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)のエディ・アナビ(Hédi Annabi)代表がこの地震で死亡したことを確認したとしていた。国連側は否定していたが、日本時間17日に同代表とルイス・カルロス・ダ・コスタ (Luiz Carlos da Costa) 副代表、ダグ・コーツ (Doug Coates) 警察本部長代理が死亡したことを発表した。現地に赴いた潘基文国連事務総長も同代表の遺体を確認し、発見した中華人民共和国の国際救援隊に謝意を述べた。また人道支援活動のためにポルトープランスに滞在していたブラジル出身の小児科医で人道支援活動家のジウダ・アルンス、地元出身のヒップホップアーティストであるジミー・O(Jimmy O)、カトリック教会のジョセフ・セルジュ・ミオ大司教が、この地震によってポルトープランスで死亡した。また刑務所も崩壊し、受刑者4000人が脱獄している。 ポルトープランスでは略奪行為が発生しており、ハイチ政府は1月17日に1月末まで非常事態宣言を発し、午後6時以降の夜間外出禁止令を出していた。同21日には窃盗の疑いで20歳の男性が警官によって射殺されるなど、混乱状態が続いていた。
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地震の被害
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新潟県中越地震により展示されていた美術品のうち陶器製のものはほとんどが全壊、絵画も一部が落下したり、角に当ったりしてかなりの損害が生じた。また、建物自体も、以前は館員が宿直できるほど館内が整備されていたが、地震後は困難となった。交通路は、美術館へ行く道が寸断され、たどり着くことさえ困難であったが、現在は車でも問題なく通行できる。
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