地震と地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 09:59 UTC 版)
フィリピン海プレートの沈み込みによりユーラシアプレートは圧縮応力を受け続け、地震により応力が開放された結果、地殻変動は南東上がりの傾動を示す。御前崎、潮岬、室戸岬および足摺岬は東海・南海地震の度に隆起し、地震後から次回の地震までゆっくりと沈降して回復するが、トータルでは隆起がやや上回る。室戸岬に見られる隆起による海岸段丘や、高知付近の沈降地形は長年に亘る南海地震の繰り返しにより形成された。室戸岬や足摺岬に見られる段丘が現在の高さになるには約15万年の年月がかかる計算となり、南海トラフ沿いの地震は有史以前から幾度となく繰り返されてきたことが窺われる。地球深部探査船「ちきゅう」による紀伊半島沖の掘削調査により南海トラフ沿いの巨大地震は195万年前の断層活動に遡り、155万年前にほぼ現在のような活動が始まったとする推定結果も出されている。 規模の大きな地震により段丘が形成され、最も下にある最新のものは18世紀初頭、すなわち宝永地震の際に生成したものであり、次は平安時代の終わり頃、奈良時代と平安時代の間頃と続く。日本史上最大級といわれた宝永地震も地質時代を通じた歴史の中では一介の地震に過ぎない。一方で、室戸岬の地形は西南日本外帯の東西圧縮による南北に軸をもつ波状構造と、フィリピン海プレートの北西進による運動が同時進行している結果であるとされ、大規模な隆起についてはプレート境界の断層活動よりは、むしろプレート境界から枝分かれした陸地に近い分岐断層によるものと考えられている。御前崎で見出された約7000年間に4回とされる大規模な隆起の痕跡もプレート内の断層活動による可能性が高いとされる。 富士川河口付近では長年の断層による変位を伴う地震活動の繰り返しの結果、富士川河床に露出した13800年前の溶岩は東側の富士市では地下100mに埋もれている程のギャップを生じている。これも東海地震の度に生じた断層活動の累積の結果である。東海地震や南海地震の度に高知付近や遠州灘沿岸は地盤の沈降が見られたが、例えば浜名湖は沈降したところに津波が襲うことを繰り返すことにより形成された湖であると推定される。高知平野などは地震の度に沈降し、沈降後に堆積作用が働いた沖積平野である。また須崎の東側の横浪三里は沈降地形であるリアス式海岸である。このようなリアス式海岸は志摩半島、紀伊水道両岸、宇和海沿岸および佐賀関南側に広く分布し、地震の度に沈降の見られる地域に一致する。 さらに南海トラフに平行して西南日本外帯には赤石山脈、紀伊山地、四国山地と高峰が連なり、例えば御前崎から赤石山脈にかけて波曲しながら階段状に次第に高度を上げる地形が見られる。このような地形はフィリピン海プレートの沈み込みによりユーラシアプレート上の大地が圧縮を受け褶曲活動の結果、もたらされたものである。さらにフィリピン海海底からもたらされた付加体がこれらの山地の形成に関わっている。国土地理院のGEONET測量により、普段は東海地方、紀伊半島中央部、四国中央部および九州東部は隆起し、他方、御前崎、潮岬、室戸岬および足摺岬は沈降と地震による地殻変動とは逆の上下変動が示された。また、GPS解析により南海トラフ巨大地震震源域ではプレート境界の滑り遅れが見られ、固着域の存在と次期地震への準備が着実に進行しつつあることが示された。プレート間固着による年間約6cmプレート境界の滑り遅れ、すなわち陸側プレートの引きずり込みによる海底の西北方向への移動は海上保安庁による観測からも裏付けられた。
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