哨戒飛行艇
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「Be-12 (航空機)」の記事における「哨戒飛行艇」の解説
Be-12は、陸上機であるIl-38とともに前任機の大型哨戒飛行艇Be-6を代替する目的で開発され、1960年に初飛行を行った。TANTKベリーエフではこれより以前に大型飛行艇Be-10を飛行させていたが、これがリューリカ=サトゥールン製AL-7PB(АЛ-7ПБ)ターボジェットエンジン2 基を後退翼である主翼付け根下面に搭載した画期的な機体であったのに対し、一方のBe-12の開発ではよりオーソドックスなスタイルが採られていた。 Be-10とBe-12の開発はともに1950年代に行われたが、この時代はまだ技術が確立せずさまざまな模索の続けられていた困難な時代であった。そのため、初のジェット飛行艇であり先進的だが技術的には不安の大きいBe-10と、すでに成功を収めているBe-6の構造をそのまま踏襲したようなBe-12とを平行して開発することは、二度手間ではあるが海軍からの要求をスケジュールどおりにこなすためには必要な保険であると言えた。結局、当時ソ連最大の出力を発揮できたがいまだ完成の域に達していなかったAL-7エンジンを搭載したBe-10は芳しい結果を得られず、その派生型Be-10Nも生産されずに終わった。 一方のBe-12は設計局が全精力をBe-10の開発に注いでいたため開発が遅れ、1957年11月になってようやくはじめの模型が関係者の間で公開された。その後も機体の設計は思いのほか手間取り、1960年6月30日に試作初号機が完成し同年10月18日に初飛行を果たしたものの、試験はその後もながらく続けられた。先人のひとつである日本の二式飛行艇でもそうであったように、大型飛行艇の開発は陸上機にはない離着水の問題など多くの困難な課題を持っていた。それに加え、Be-12では新しい哨戒システムに対応することが求められたため、新型の電子機器類の開発も平行して行われていた。 Be-12はBe-6から特徴的なガル型翼を受け継いでいたが、これはプロペラを海面からできる限り遠ざけるために有効な手段であると考えられた。尾翼は、機体の安定性を高めるために2枚の垂直尾翼を備えた。エンジンには、最終的に従来のレシプロエンジンにかえてイーフチェンコ=プログレース製の新しいターボプロップエンジンAI-20D(АИ-20Д)が選定された。 試作2号機は1962年9月に完成したが、この機体は初号機とは本質的に異なる機体となっていた。この機体をもとに試験が続けられ、量産型Be-12が完成された。 量産型Be-12には、PPS-12(ППС-12)自動捜索・追跡システムが搭載された。このシステムには、イニツィアチーヴァ-2B(«Инициатива-2Б»:инициативаは「イニシアチヴ」のこと)または頭文字をとって単にI-2B(«И-2Б»)と呼ばれる無線ロケーター・システムや水中音響ブイに接続するSPARU-55(СПАРУ-55)航空ラジオ受信装置、ANP-1V-1(АНП-1В-1)自動ナヴィゲーション装置、PVU-S-1(ПВУ-С-1)またはスィレーニ-2M(スィリェーニ-2M;«Сирень-2М»:сиреньは「ライラック、リラ」のこと)と呼ばれる追跡コンピューター、オートパイロット装置AP-6Ye(АП-6Е)などが含まれた。 Be-12の配備は1965年の春から始められた。Be-12はそれまで試験を行ってきたタガンロークに置かれていたBe-6装備の飛行隊に配属され、若干の習熟期間ののち実動体制に入った。その後も黒海艦隊をはじめ多くの航空隊へ配備が進み、最終的にはすべてのBe-6を置き換えた。 Be-12の改良はその後も続けられ、最新の哨戒システムを搭載していたため基本的にソ連国外へは輸出されなかった。これは、国土防空軍の迎撃戦闘機が防空システムの機密を守るため基本的に輸出されなかったのと同様のことである。例外はソ連が直接要員を派遣していたエジプトとヴェトナムで、少数機がこれらの国で運用された。 Be-12は、初期にはIl-38、Be-6、Ka-25、Mi-4PL、Mi-14などとともに、のちにはIl-38、Tu-142、Ka-27PLなどとともにソ連沿岸の哨戒任務に就いた。 ソ連の崩壊後も、Be-12は独立したロシアで多数が運用された。予算不足により後継機の配備が遅れていることもあり、機体の経年数にも拘らず運用は続けられている。また、ウクライナでもBe-12を運用している。ウクライナ海軍航空隊に所属しているBe-12は、1 機が2007年9月に実施された大規模軍事演習「アルテーリヤ2007」(Артерія – 2007)に対潜攻撃機として参加している。この他、モルドヴァ空軍もBe-12を保有していたとされるが、実際に運用はされなかったものと見られている。 なお、中華人民共和国ではBe-12や日本のPS-1を参考に水轟五型(SH-5)が開発されている。同機はBe-12同様の対潜哨戒任務のほか、対艦攻撃、救難、輸送などに幅広く使用されている。
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哨戒飛行艇 (PS)
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長時間にわたって洋上を飛行するという任務の性格上、特に初期には飛行艇も投入されており、アメリカのカタリナや日本の二式飛行艇が用いられた。しかし洋上で使用するため、海水による塩害などにより、耐用命数及び経済性などの点で、陸上機よりも劣る難点もあった。 その後、ソノブイの技術・戦術が未発達であった時点では、ヘリコプターよりも高速で長距離進出できる飛行艇によって吊下式ソナーを展開することに期待されたこともあった。しかしソノブイの技術・戦術が発達するとともに、飛行艇による浅海面でのソナー捜索の優位性は失われていった。 1960年代中盤までに、西側諸国での哨戒飛行艇の運用はほぼ終了しており、上記のような吊下式ソナーの運用を想定した日本のPS-1も1989年までに運用を終了した。また東側諸国では飛行艇の開発が継続されており、ソ連では1965年よりBe-12を配備したが、こちらも陸上機によって代替されていった。一方、中国は水轟五型(SH-5)を開発し、1984年より配備を開始したが、これは2014年現在、飛行艇が対潜哨戒機として新規に配備された最後の例となっている。 カタリナ(PBY-5A) PS-1 Be-12
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