合掌造りの発達とは? わかりやすく解説

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合掌造りの発達

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:55 UTC 版)

白川郷・五箇山の合掌造り集落」の記事における「合掌造りの発達」の解説

詳細は「合掌造り」を参照合掌造り」はそれほど古い用語ではなく1930年昭和5年)頃にフィールドワーク行なった研究者らによって使われはじめた推測されている。その定義は一様ではないが、日本政府世界遺産推薦した際には、「小屋内を積極的に利用するために、叉首(さす)構造切妻造り屋根とした茅葺き家屋」と定義づけた。名称の由来は、掌を合わせたように三角形に組む丸太組みを「合掌」と呼ぶことから来たと推測されている。 日本政府の定義では、屋根急勾配触れられていないが、実際のところ、合掌造り屋根はおよそ45度から60度まで幅があり、初期のものほど傾斜がゆるい傾向にある。この傾斜は、豪雪による雪下ろし作業軽減多雨地帯でもあることによる水はけ考慮したものと考えられている。合掌造り家屋の中では、家内工業として和紙漉き塩硝作り養蚕が行なわれていたが、このうち明治時代以降継続され家屋大型化にも大きく寄与したのは養蚕業であった養蚕地域によっては住居別棟作って行うこともあったが、山間にあった集落では少しでも農地確保するために、住居屋根裏活用する必要があったと考えられている。合掌造り切妻屋根採用したのも、入母屋造寄棟造比べて屋根裏容積大きく取れるからであると指摘されている。また、屋根の勾配急にしたことは、屋根裏二層もしくは三層空間確保することにつながり豪雪への対策以外に養蚕業にとっても都合が良いものであった。ことに、気候によって普通なら他の地域のように年に2回育てることが難し白川郷五箇山では、春の遅れを生活で出る暖気によって補うためにも、屋根裏有効活用する必要があったのである屋根裏床材には竹簀利用され、煙などが屋根裏抜けすいようになっているまた、白川郷合掌造り屋根はいずれも妻を南北向けているが、これは以下の3つの効果期待してのものとされる屋根満遍なく日が当たるようにし、冬場融雪茅葺き屋根乾燥促進させるため。 集落南北細長い谷にあり、それぞれの方向より強い風が吹くことから、風を受ける面積少なくするため。 夏場逆に屋根裏部屋の窓を開放し南北の風を吹き抜けさせることで夏蚕暑さやられないようにするため。 合掌造り床面積広さ多層化は、集落大家族制とも結びついている。かつての白川郷五箇山では、せまい耕作地相続によって細分化されることなどを防ぐために、結婚できるのは長男けだったその結果として、一つ住居家長とその嫡流だけでなく、傍系に当たる親族使用人たち多数暮らす形となり、力をあわせて農業家内工業精を出したのである。ただし、屋根裏のうち上層部はせますぎて居住には適さず、あくまでも養蚕などの産業用使用される空間であった屋根組みには釘を1本も使わず丈夫な縄で固定する。これは、重さ風の強さ対す柔軟性を生み、家の耐久性を増す工夫とされている。なお、建物そのものに釘を一切使わないわけではなく床板などの打ち付けには使われている。この釘が和釘(角釘)なのか洋釘(丸釘)なのかは、築造年代判断する手がかりにもなる。 合掌造りはその保全のために、30年から40年一度ピッチ大規模な補修屋根葺き替えを行う必要がある。これは多く人手時間要する大掛かりなものであり、住民総出行われた住民たちは近隣「組」(くみ)と呼ばれる互助組織形成し、その単位土台として「結」(ゆい)を行う。屋根葺き替えにおいて重要な「結」は、鎌倉時代にこの地に根付いたとされる浄土真宗信仰起源を持つ。屋根原則として一日のうちに葺き替えを終わらせた。これは降雨警戒したからとか、春先行なわれることが多く農作業との兼ね合い複数日にわたって村人達の協力を仰ぐことが難しかったからなどと説明される。ただし、加須集落などは住民少なかったため、複数日に分けざるをえなかったという。 なお、小規模な補修毎年のように行なわれる。これは大雪降った後に、屋根積もった滑り落ちるとき、巻き込まれ抜け落ちることがあるためである。そうした小規模な補修を「差」(さしがや)と呼ぶ。 明治時代中期に当たる19世紀末頃が最も合掌造り集落多かった時期考えられており、一帯にはおよそ1850棟が存在していたとされる。ただし、この時でさえも、当時日本全体農家(約550万戸)の0.03パーセントほどを占め例外的存在に過ぎなかった。 白川郷冬の景観(2006年平成18年3月白川郷長瀬家の三階内部2006年平成18年8月屋根裏部材が縄で縛られているのが分かる。(2008年平成20年4月屋根葺き替え2008年平成20年4月

※この「合掌造りの発達」の解説は、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の解説の一部です。
「合掌造りの発達」を含む「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の記事については、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の概要を参照ください。

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