原因:マラリア原虫とハマダラカの同定
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「マラリアの歴史」の記事における「原因:マラリア原虫とハマダラカの同定」の解説
1848年、ドイツの解剖学者 Johann Heinrich Meckelは、精神病院で死亡した患者の血液と脾臓にみられる暗褐色の色素顆粒 (後にヘモゾインと名付けられた) について記録した。Meckel は報告書の中でマラリアについて言及しておらず、それとは知らずマラリア原虫を観察していたものと思われる。彼は、その色素はメラニンであるという仮説を立てていた。色素と寄生虫との因果関係は、1880年にアルジェリアのコンスタンティーヌの軍病院に勤務していたフランスの医師シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴランによる、マラリア患者の赤血球中の色素沈着した寄生虫の観察によって確立された。彼は鞭毛放出の過程を目撃し、動く鞭毛が寄生性の微生物であると確信するに至った。彼はキニーネが血液から寄生虫を除去することに気づいた。ラヴランはこの微生物を Oscillaria malariae と名付け、マラリアがこの原生動物によって引き起こされると提唱した。この発見は、1884年に油浸レンズが、そして1890-91年により優れた染色法が、それぞれ開発されるまで物議を醸していた。 1885年、Ettore Marchiafava、Angelo Celli とカミッロ・ゴルジは、マラリア原虫のヒトの血液中での増殖のサイクル(ゴルジ・サイクル)についての研究を行った。ゴルジは、血液に存在するすべての寄生虫が規則的な間隔でほぼ同時に分裂し、分裂と発熱とが同時に起こることを観察した。1886年ゴルジはマラリア原虫の形態的な差異について記載し、それは今でも2種のマラリア原虫 Plasmodium vivax と Plasmodium malariae を見分けるために用いられている。このすぐ後、1889年 Sakharov によって、そして1890年 Marchiafava と Celli によってそれぞれ独立に、P. vivax とも P. malariae とも異なる種として Plasmodium falciparum が同定された。1890年、Grassi と Feletti は入手可能な情報を再調査し、P. malariae と P. vivax の命名を行った (ただし当初は Haemamoeba 属の下に置かれた)。1890年までに、ラヴランの説は広く受け入れられたが、イタリアの学派の分類作業や病理研究が好まれたため、彼の初期のアイデアのほとんどは放棄された。Marchiafava と Celli は新しい微生物を Plasmodium と名付けた。H. vivax はすぐに Plasmodium vivax と改名された。1892年 Marchiafava と Bignami は、ラヴランが観察した複数の形態が1つの種によるものであることを実証した。この種は P. falciparum と名付けられた。ラヴランは、疾病の発生における原虫の役割に関する業績によって1907年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。 オランダの医師 Pieter Pel は、マラリア原虫の組織内のステージ (tissue stage) の存在について1886年に初めて提唱したが、それは実際の発見を50年以上前に予見するものであった。この提案は、1893年にゴルジが寄生虫の未発見の組織内の段階の存在の可能性 (このときは内皮細胞を想定ていた) について示唆した際にも繰り返された。Pel は1896年、ゴルジの潜伏期理論を支持した。 19世紀半ばからの科学的手法の確立によって、マラリアの原因と伝染に関しても実証可能な仮説と検証可能な現象の報告が要求されるようになった。マラリアとカについての逸話的な報告と、1881年のカが黄熱を伝染することの発見により、マラリアとカの関係についても調査が行われるようになっていった。 初期のマラリア予防の取り組みは、1896年マサチューセッツ州で行われた。アクスブリッジでのマラリアの大発生について保健衛生官 Leonard White は州の保健局宛てに報告書を提出し、カとマラリアの関連についての研究と、マラリア予防のための最初の取り組みが行われることとなった。マサチューセッツ州の病理学者セオボールド・スミスは、White の息子にさらなる分析のためにカの試料を集めるよう要請し、市民には窓に網戸をつけ、貯めた水を排水するように要請した。 インドのセカンダラバードで軍医として勤務していたイギリスのロナルド・ロスは、1897年にマラリアがカによって伝染されることを実証し、この出来事は現在では世界蚊の日(英語版)として記念されている。彼は、血液中に三日月型の生殖母体を持つマラリア患者をカに人工的に吸血させ、カの体内に色素沈着したマラリア原虫を見つけることに成功した。彼はマラリアの研究を継続し、ある種のカ (Culex fatigans) がマラリアをスズメに伝染させることを示し、感染した鳥を吸血したカの唾液腺からマラリア原虫を単離した。彼はこれを1898年にエディンバラの英国医師会に報告した。 ローマ大学の比較解剖学の教授であったジョヴァンニ・バッティスタ・グラッシは、ハマダラカ属 (Anopheles、ギリシア語の anofelís (役立たず) に由来する) のカだけが、ヒトのマラリアを伝染することを示した。グラッシと彼の共同作業者 Amico Bignami、Giuseppe Bastianelli、Ettore Marchiafava は1898年12月4日のアッカデーミア・デイ・リンチェイでの会合で、非マラリア地帯の健康な人が、実験的に感染させた Anopheles claviger に刺された後、三日熱マラリアを発症したと発表した。 1898年から1899年にかけて、Bastianelli、Bignami とグラッシは、P. falciparum、P. vivax と P. malaria がカからヒトへ、そして A. claviger へ戻る、という伝染の完全なサイクルを初めて観察した。 イギリスとイタリアのマラリア学派の間で先取権をめぐって論争が生じたが、1902年にロスは、「マラリアが生物にどのように入り込むかを示し、この疾病に関する研究の成功と、根絶のための方法の基礎を築いた」ことにより、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
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