千年に一度のKO劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:43 UTC 版)
「ジェロム・レ・バンナ」の記事における「千年に一度のKO劇」の解説
2000年2月19日、マンダレイ・ベイ・イベント・センターで行われたマルコ・アントニオ・バレラ対エリック・モラレス戦の前座でボクシングルールの試合を行う予定だったが試合が消滅。代わりに2月26日にマルセイユでプロボクシングのフランス・ヘビー級王座に挑戦することが決定していたが、当時のフランス・ヘビー級王者がシリル・アビディをスパーリング・パートナーとして呼んだところ、逆にスパーリングでのされてしまい、アビディ以上のK-1の実力者であるバンナを恐れて対戦を拒否してしまった。その後もボクシングへの並行参戦を望んでいたが、今度はドン・キングと契約問題で対立し、戦う機会を得られないままボクシングから撤退することになった。 3月17日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにてパリス・バシリコスと対戦して2ラウンドKO勝利、ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座の防衛に成功。 4月23日、大阪ドームで開催されたK-1 THE MILLENNIUMで当時の現役極真空手世界王者フランシスコ・フィリォと対戦。前年4月にホーストに失神KO勝利しながらも極真世界大会出場を優先してK-1 GP 99を欠場し、そこでホーストが優勝したことにより最強説が上がっていたフィリォと、絶対王者アーツの連勝を止めてワンマッチ最強を証明したバンナの対戦は頂上対決として注目された。試合前の記者会見では「大阪ドームから一番近い病院のベッドをフィリォのために予約しておいてやってくれ!」と強気なKO勝利宣言を行うなど殺気だっていた。試合は『一撃』のカウンターを代名詞とする極真世界王者フィリォに対し、バンナは強引なラッシュを仕掛けることなく改善されたローキックを交えた冷静な戦いを繰り広げ、一瞬の隙を逃さず逆に左ストレート一撃でフィリォを失神させ1ラウンドKO勝利。この試合は「千年に一度のKO劇」と呼ばれる伝説のKOとなった。試合後、痙攣しながら倒れこんでいたフィリォが意識を取り戻して悔し涙を流しているところに駆け寄り、「泣くな!君は極真の王者なんだから!」と激励した。なお、この試合以降、バンナの必殺技である左ストレートは“黄金の左”と称されるようになった。 5月28日、K-1 SURVIVAL 2000にてヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤと対戦し、開始早々に真っ向勝負で殴り合い、1ラウンド1分7秒でKO勝ち。 7月30日、K-1 WORLD GP 2000 in 名古屋のGP予選トーナメントに参戦。「俺はワンマッチでは最強だが、トーナメントは苦手だと言われることが多いから、今回は12月の決勝トーナメントに向けてトーナメント用の戦い方を身に付けたところを見せる。1回戦から全力は出さずに消耗を抑えて優勝する」と宣言して臨んだこの大会の1回戦でマーク・ハントと対戦。パンチと蹴りを交えた堅実な戦いぶりで1ラウンドにポイントを奪うと、そのまま全力は出さずに完封して3-0の判定勝利。 続く準決勝でニコラス・ペタスと対戦。大会前にペタスが「極真の仲間であるフィリォの仇を討つためにバンナを倒す」とコメントしたことや、フィリォが「たしかにバンナは強いがまだ私より強いとは証明していない。もう一度私に勝ったらバンナが私より強いと認めるから再戦してほしい」とコメントしていたため、バンナは当初は極真勢に対して敬意を表していたが、これらのコメントを伝え聞いて群れることを嫌う一匹狼な性格のバンナは不快感を露にするようになり、ペタス戦は試合前から殺気立った表情で臨んだ。試合は、力をセーブした1回戦とは全く違い、力任せで強引な強打でペタスを一気に潰そうと猛ラッシュを仕掛け、ガードの上から殴りつけて2度のダウンを奪って1ラウンドKO勝利。試合後、バンナが両手を挙げて勝利を喜んでいる最中に、まだ負けた事に気付いていないペタスがバンナに殴りかかろうとしたことで、これに激怒したバンナが右フックを打ち込んで再びペタスをKOした。試合後の攻撃による反則に批判も起きたものの、バンナがペタスをKOして試合終了のゴングが鳴った時点でバンナの勝利は成立していることと、試合後に先に殴りかかろうとしたペタスにも非があるため、バンナの1ラウンドKO勝利という結果に変更は無かった。 続く決勝戦ではアーネスト・ホーストと対戦し、1ラウンド終了間際に左ストレートをクリーンヒットさせたところでラウンド終了となり、1ラウンド終了時にタオル投入によるTKO勝ちで予選トーナメントを優勝した。これにより12月10日に開催されるK-1 WORLD GP 2000 決勝戦への出場権を得た。 K-1 WORLD GP 2000 決勝トーナメントの組み合わせ抽選会に向かう途中で交通事故に遭い、抽選会を欠席。自身が乗っていた車は大破し、同乗していたスパーリング・パートナーのフィリップ・ゴミスは意識不明の重体になるほど大きな事故であったが、それでも優勝に懸けるバンナは出場を決意。抽選会当日には国際電話で参加し、代理で引かれた抽選クジの結果を伝えられると、準々決勝の相手にフランシスコ・フィリォを指名し、「奴がもう一度病院送りにされたいようだからやってやることにした。アイ・ドント・ライク・キョクシン!」とコメントして怒りを露にした。この大会では前年度王者ホーストを差し置いて優勝候補本命と目されていたが、伝染性単核球症により本大会を欠場。 2001年になるとバンナが欠場したK-1 WGP 2000決勝トーナメントが判定決着続出の低調な内容だったこともあり、さらにバンナに注目が集まるようになり、本人も「俺様が触った物は全て黄金になる!日出ずる国・日本のK-1を俺がさらに輝かせてやるよ!」と強気な発言を繰り返した。 3月4日、マルセイユでアンドレイ・ズラウコフと対戦し、2RKO勝ち。しかし、この試合で左脛に怪我を負い、14針を縫った。 3月17日、K-1 GLADIATORS 2001にてマイク・ベルナルドと対戦。この試合では負傷したバンナの左脛にサポーターを着けることが両者合意の下、特別に承認された。1ラウンド終了間際、ベルナルドの体を入れ替えての左右のフックがバンナの顔面に直撃しそのままマットに沈み、一度は1ラウンドKO負けと判定されるも、バンナ陣営はこの結果に抗議。検証の結果、ダウンする数秒前にゴングが鳴っていたことに加えて、観客の歓声でゴングの音がかき消されレフェリーには聞こえていなかったことが確認され、試合結果はノーコンテスト(無効試合)に変更となった。 4月29日、K-1 WORLD GP 2001 in 大阪のGP予選トーナメントで、全試合1ラウンドKO勝利で優勝。大会後、「この優勝を天国にいるアンディに捧げる」と言って前年8月24日に死去したアンディ・フグへの追悼の意を示した。 6月24日、K-1 SURVIVAL 2001にてステファン・レコと対戦。3月に負傷した左脛の怪我が完治せず簡易サポーターを巻いたまま臨んだが、左ハイキックでダウンを奪って判定勝ち。 12月8日、K-1 WORLD GP 2001 決勝戦のGP1回戦でマーク・ハントと再戦。3月に負傷した左脛は相変わらず完治せずサポーターを着けたままながら、それでも優勝候補本命とされていたバンナは、試合直前のインタビューで「今回はワンマッチではなくトーナメントだから、初戦から全力は出さない。初戦は力をセーブして消耗少なく勝ち上がるよ」とコメントしていた。試合は左ミドルキック主体の慎重な試合運びを繰り広げ、優勢に戦っていたが、2ラウンド終盤にパンチの連打をくらって番狂わせの2ラウンド逆転KO負けしリベンジを許した。 12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2001」で総合格闘技に初挑戦。安田忠夫と対戦し、1ラウンドは優勢だったが、2ラウンドに前腕チョーク(公式記録はギロチンチョーク)で一本負け。
※この「千年に一度のKO劇」の解説は、「ジェロム・レ・バンナ」の解説の一部です。
「千年に一度のKO劇」を含む「ジェロム・レ・バンナ」の記事については、「ジェロム・レ・バンナ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から千年に一度のKO劇を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から千年に一度のKO劇を検索
- 千年に一度のKO劇のページへのリンク