北浜銀行関連とは? わかりやすく解説

北浜銀行関連

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 09:21 UTC 版)

片岡直輝」の記事における「北浜銀行関連」の解説

1914年大正3年)、大阪日日新聞北浜銀行経営放漫記事掲載される記事の内容はかなり誇張されたものであったが、全ての記事荒唐無稽として排斥できない面もあったため、同年3月取り付け騒ぎが起こる。最初の頃は、現在におけるコール市場より潤沢な資金借りられたため大きな混乱生じなかったが、日を追う毎に手形交換所通じて巨額引き出しをされるようになる。その動き察知した直輝は渡辺千代三郎とともに東京にあって未だ事情知らない北浜銀行頭取岩下清周無断対策を講じる。まず取り付け騒ぎ原因となっている新聞記事差し止め求め大阪府知事新聞社主宰交渉しその間岩下電報打電急遽大阪戻った岩下は自ら新聞社主宰訪れ記事停止了解を得ることはできたが時既に遅く、その翌日には一時引き出しできない事態生じる。北浜銀行に関係のある人々急遽集められ対策を講じることとなったが、最初に支援要請した藤田組藤田平太郎男爵先代遺言により銀行と深い関わりを持つことを断られる次の策として日本銀行支店北浜銀行救済方法相談すると、日銀本店連絡し対策講じてもらうこととなる。また24日大阪手形交換所大蔵大臣日銀総裁至急救援が必要との旨の陳情書提出大阪府知事からも救済要請してもらう。同日中、日銀本店において北浜銀行を特別融通により救済することが決議されたが、この融通300万円限度とされ、わずか3日後には再び引き出しができなくなる。再度善後策講じることになり渡辺日銀支店相談すると、日銀総裁大蔵大臣協議して北浜銀行重役責任を負うならば必要資金融通する用意があることを聞き出し、最も了解得られにくいと思われ藤田男爵了解取り付けるべく、藤田男爵から最も信頼厚かった谷口説得要請夜を徹して説得当たった結果藤田男爵家からの承諾を得ることができ、29日から引き出しが可能となった岩下はこの責任取り頭取辞することになり、次の頭取決めることになったが、岩下北浜銀行から完全排除すべきという考え重役が新頭取杉村正太郎立て重役会を刷新し新体制経営スタートさせた。だが、それからすぐ同行名古屋支店において100万円の横領事件発覚し同年8月臨時総会にて北浜銀行事業継続は困難との理由を以て臨時休業発表し解任申し出るこのままでは銀行破産してしまうため直輝は次の頭取探すことになるが、なかなか良い人材は見つからなかった。同年11月株式成功していた高倉藤平頭取になり北浜銀行三度出発となった。直輝がこの北浜銀行危機深く関わったのは、破綻関西経済容易ならざる悪影響与えることもあったが、大阪電気軌道経営破綻と、その先にある友人大林五郎社長勤めた大林組破綻あったからである。 北浜銀行取り付け騒ぎ起こった一番の原因は、生駒トンネル建設工事無謀とも思われる多額資金大阪電気軌道貸し出したためである。実際大阪電気軌道生駒トンネル建設費用により経営圧迫され危機的状況に陥っていた。また、建設請け負った大林組約束手形無価値同然となり、ほとんど支払い受けられなかったため、こちらも危機的状況陥った大林組北浜銀行救済するためには大阪電気軌道改革することが最も重要であったため、直輝はその改革乗り出す。まず、北浜銀行大林組を除く巨額債権をもつ三井物産協議し改革案を案出する。さらに他の債権者を含む関係者から、社長などの推薦指名委嘱された直輝は、大阪電気軌道幹部大槻龍治中心として新たな体制成立させるその後乗客数増加経費削減により大阪電気軌道経営改善することとなる。その一方で大林組再建にも力を尽くす大阪電気軌道発注工事での約束手形無価値同然となっていたため、破綻による損失を少しでも軽減するべく、債権を持つ多数銀行差し入れている担保品にかかわらず回収動いた。直輝はなんとか救済できないものかと渡辺とともに多数銀行奔走し担保品による借入額を満額まで調達できるように交渉した謝絶された。1915年大正4年)、二十数万円の資金調達できなければ強制処分すると、いくつかの銀行通告される。渡辺東京岸淸一博士訪ね数万円を借り、また三井銀行から担保総額の約七掛けにあたる有価証券の提供と、直輝、渡辺、岸の3名による連帯債務とすることを条件に約20万円資金融通され、危急事態回避された。その後家政整理関わり株式会社化された後も相談役として後援した1921年大正10年)、北浜銀行行員による株券偽造事件発覚損害額八十数万円に上る。そしてその金銭的損害よりも信用損害大きいため、再度取り付け騒ぎ起こってもおかしくない状況となった。直輝は渡辺千代三郎銀行間の調整要請し渡辺努力により損害賠償額5分の1にて示談成立円満解決となり危機回避された。北浜銀行その後1926年大正15年)に三十四銀行合併しその歴史閉じることとなる。

※この「北浜銀行関連」の解説は、「片岡直輝」の解説の一部です。
「北浜銀行関連」を含む「片岡直輝」の記事については、「片岡直輝」の概要を参照ください。

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