大槻龍治
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大槻 龍治(おおつき りゅうじ、1863年11月17日 - 1927年6月25日)は、日本の官僚、鉄道実業家である。陸軍中将の白石通則は義理の兄弟[1][2]。
来歴・人物
宮城県出身[3]。仙台藩士の大槻武治の次男だったが、兄の大槻栄行の養子となり家督を継ぐ。1890年に帝国大学法科を卒業した後に農商務省に入省し、1902年には参事官に任じられた[3]。神奈川、京都、鳥取の各参事官、大蔵省主税官、長崎税関長などを歴任し、1905年に大阪税関長に就任し[3]、1913年6月に熊本税務監督局長に就任した[4]。
1915年から1927年までに大阪電気軌道社長を務め、債務の整理を行い、建設費の高騰で苦しんでいた大軌を再建した[5]。
脚注
- ^ 人事興信録第8版 白石通則
- ^ 人事興信録第4版 大槻龍治
- ^ a b c 大槻龍治 (第4版) - 『人事興信録』データベース『人事興信録』データベース
- ^ 「近畿日本鉄道 100年のあゆみ」p56
- ^ 近畿日本鉄道|明治43年~大正5年
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