大槻龍治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 23:14 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動大槻 龍治(おおつき りゅうじ、1863年11月17日 - 1927年6月25日)は、日本の官僚、鉄道実業家である。
来歴・人物
宮城県出身[1]。1890年に帝国大学法科を卒業した後に農商務省に入省し、1902年には参事官に任じられた[1]。神奈川、京都、鳥取の各参事官、大蔵省主税官、長崎税関長などを歴任し、1905年に大阪税関長に就任し、熊本税務監督局長も務めた[1]。
1915年から1927年までに大阪電気軌道社長を務め、債務の整理を行い、建設費の高騰で苦しんでいた大軌を再建した[2]。
脚注
- ^ a b c 大槻龍治 (第4版) - 『人事興信録』データベース『人事興信録』データベース
- ^ 近畿日本鉄道|明治43年~大正5年
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