光復軍出身の韓国軍軍人
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「韓国光復軍」の記事における「光復軍出身の韓国軍軍人」の解説
1946年1月、南朝鮮国防警備隊が創設されるが、日本軍、満州国軍出身者が占めていたため、光復軍出身者は「親日派と共に軍に参加することはできない」と言ってほとんど参加しなかった。当初、軍事英語学校(朝鮮語版)に、日本軍、満州国軍、光復軍の各20人を入校させる予定であったが、光復軍出身者は拒否したため、推薦を任されていた中国軍出身の趙介玉は李成佳と兪海濬の二名だけを推薦することになった。 1946年6月以降に帰国した光復軍出身者は、国防警備隊をアメリカの傭兵とみなして、朝鮮警備士官学校への入校を拒否したが、元光復軍参謀総長の柳東説が統衛部(国防部の前身)部長に就任すると、光復軍出身者も入校するようになった。同年12月、国防警備隊総司令に宋虎聲が就任した。さらに1948年に大韓民国が樹立すると、出身者の多くは陸軍士官学校特別組に入校するか、一部は特定の階級への特任入隊 が許された。 しかしこれらを除き、初期に連隊長クラスとなった光復軍出身者は居らず、国防部や警備隊総司令部の実務陣は、日本軍陸士、満州国軍、英語水準と学歴が高い学徒兵出身者が占めるようになった。初期の韓国軍内に日本軍や満州国軍などの出身者による派閥が形成され、その中で光復軍・中国軍出身者が早くに派閥争いから姿を消した。その理由として、正規軍事教育を学んでおらず、西欧的思考・英語力に限界があったため、米軍事顧問団の認定を受けることができなかったことが挙げられている。その他に李承晩と金九の権力闘争であった。李承晩は軍の要職に若くて扱いやすい将校を任命し、金九系列の軍幹部を排除して軍部の忠誠を確保しようとした。そのため光復軍出身は金九没落後に軍部内の主導権的地位を喪失した。 光復軍出身者で大将に進んだ者は1人も居らず、中将が数人だけである。 主な出身者氏名出身校韓国軍の経歴備考任官(任官時の階級) 最終階級 主な役職 崔用徳 保定航空学校1期中国陸軍大学特別班5期 空軍幹部候補生第1期(少尉) 空軍中将 空軍参謀総長 初期の韓国空軍は中将が最高階級であった。 金弘壹 貴州陸軍講武学校2期中国陸軍大学特別班6期 特別任官(准将) 陸軍中将 校長、第1軍団長 崔徳新 中央軍校10期 陸士特別3期(大尉) 陸軍中将 師団長、軍団長 李俊植 雲南陸軍講武堂 陸士8期特別第1班(大佐) 陸軍中将 師団長、副軍団長 安椿生 中央軍校10期 陸士8期特別第1班(大佐) 陸軍中将 師団長、第2軍副司令官 朴始昌 黄埔軍校5期中国陸軍大学特別班6期 陸士特別3期(大尉) 陸軍少将 副軍団長 兪海濬 中央軍校15期 軍事英語学校(中尉) 陸軍少将 第1軍副司令官、陸軍大学総長 朴英俊 中央軍校17期 陸士8期特別第4班(少佐) 陸軍少将 政訓監、師団長 金国柱 中央軍校韓光班 陸士特別7期(少尉) 陸軍少将 師団長、第1軍副司令官 金冠五 雲南陸軍講武堂 陸士特別7期(少尉) 陸軍少将 第21連隊長、遊撃司令部司令官 権晙 黄埔軍校4期 陸士8期特別第1班(大佐) 陸軍少将 首都警備司令官、管区司令官 張興 黄埔軍校5期 陸士特別7期(少尉) 陸軍少将 憲兵司令官、兵事区司令官 金永逸 OSS特殊工作訓練 陸士特別8期 陸軍少将 第100軍需司令官、陸大総長 閔泳玖 中国航海専門学校 海軍少将 作戦参謀副長、海士校長 宋虎聲 邯鄲軍官講習所 陸士特別2期(少佐) 陸軍准将 国防警備隊総司令官、師団長 朝鮮戦争初期に越北 張虎崗 将校養成所 陸士8期特別第4班(少尉) 陸軍准将 連隊長、師団長、軍需基地副司令官 金東洙 中央軍校10期 特別任官 陸軍准将 連隊長、師団長 朴基成 中央軍校11期 陸士特別3期(大尉) 陸軍准将 訓練所長、予備師団長 高時福 中央軍校10期 陸士2期(少尉) 陸軍准将 第6師団参謀長、第30連隊長 1953年5月8日殉職 呉光鮮 新興武官学校 陸士8期特別第1班(大佐) 陸軍准将 兵事区司令官 蔡元凱 洛陽講武堂 陸士特別3期(大尉) 陸軍大佐 旅団長 全盛鎬 独立軍幹部養成所 陸士第8期特別第1班(少佐) 陸軍大佐 第12連隊長 1950年9月14日戦死 張哲夫 中央軍校20期 陸士5期(少尉) 陸軍大佐 騎兵大隊長 1950年8月4日自決 金英哉 日本航空学校 空軍大佐 整備補給戦隊長、釜山供給処長 尹泰鉉 幹部訓練団韓人班 陸士特別第7期 陸軍少佐 第21連隊第1大隊長 1950年7月17日即決処分 金潤澤 陸士第5期(少尉) 陸軍少佐 陸士生徒隊第1中隊長 1950年6月30日戦死 李武先 中央軍校洛陽分校 陸士特別第7期 陸軍少佐 中隊長 1951年4月13日戦死
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